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2007年 04月 26日

陶片図鑑 11 (昭和の陶片)

 昭和の陶片、それは海岸や川で一番多い陶片で、古い陶片の周りに散らばっている新しい陶片のことです。初めは私も見向きもしませんでした。ひっくり返して、なんだコレか、また出てきた・・・そんなことを繰り返しているうちに、たくさん出てくるデザインは覚えてしまいました。昭和の器など、本にもあまり出てきませんから、ほとんどが干潟の知識でした。そしていつか、覚えるほど出てくるデザインに興味を持ちました。昭和の陶片を拾う基準は「繰り返したくさん出てくるもの」です。ある時期大流行した陶片は、その時代がカチンと固まって割れた破片のような気がします。珍しくない、山ほどあるものは、時代の空気の化石なんです。
 また、昭和の陶片にはもう一つの顔があります。戦争に関わるものです。戦時中の統制番号入り陶器や、防衛食容器など金属の不足を補う代用品などです。これらは海岸でも目立ちますので、早くから私は拾っていましたが、集めてみると、この時代の特異さがよくわかります。そして広島には忘れてはならない場所があります。それは毒ガス工場のあった大久野島で、ここの海岸には毒ガス工場に関連した陶片が無数に転がっていました。

(ゴム印の器)
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                          ゴム印タイプの器
                     (似島、宮島、鞆、江田島・切串など) →大きな画像

 昭和の陶片など無数にあって、日本中のお店の商品を数えるようなものでは・・・そう思われそうです。事実そうですけど、でも、そんな昭和の陶片だって、大流行したもの、時代の傾向などは追うことができそうです。長い間、銅版転写での絵付けが量産食器の主流でしたが、昭和になるともっと効率の良い印刷方法が増えます。そのなかで目立つのがゴム印です。柔らかい素材でできた(ゴム印というからにはゴム製?)ハンコ状のものに染料を付けて、器にペタペタ押して絵付けしたものです。これは今でもレトロなデザインの食器などに、けっこう使われていますが、ゴム印が量産食器の花形だったのが昭和戦前です。ゴム印は、銅版転写の繊細な線と違って、ベタッとした、ちょっと滲んだような鈍い線が特徴です。まさにスタンプを押したという感じです。それでも動物や花の絵は可愛いし、江戸時代に流行した五弁花が再び使われたり復古調のデザインも面白いです。戦前の、幻の東京五輪のデザインなど、時代を反映したものもあります。病院の名前の入った小皿など、日常のあらゆる場所で、ゴム印で模様や文字を印刷した器が活躍していました。

(吹き墨の器)
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                       吹き墨の富士山茶碗・皿など →大きな画像&裏
                      (似島、海田町・瀬野川河口など)
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                 骨董市で買った統制番号入りの吹き墨富士山茶碗

 最近の茶碗のカケラに過ぎないと思っていた時期もありましたが、たくさん出てくるので興味を持つようになりました。じっくり眺めると、それなりに美しい器だと思います。吹き墨タイプには、花や鳥などいろいろな柄がありますけど、富士山柄はとても多く、集めてみるとおもしろいです。この手の吹き墨タイプがすべて昭和かどうか判りませんが、戦時中の統制番号入りも多く、昭和戦前に大流行したデザインのようです。

(盃)
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                            盃いろいろ
              (おもに昭和、似島、宮島、鞆、八幡川、海田町・畑賀川など) →大きな画像

 これも繰り返し海岸で見かけるうちに、ついに興味を持って拾うようになりました。とにかくよく出てきます。なかでも薄いブルーの地に桜の花などの浮き彫り模様を散らしたタイプ、謡曲高砂「四海波」の一節と熊手と箒を染付で描いたタイプ、桜の花を吹き墨で散らしたタイプなど、よほど大量に出回ったことがわかります。
 骨董市では、これらの盃は兵役を無事終えた除隊記念に関係者に配ったもの※1 がよく出ていて、盃の内側には日の丸やヘルメット、桜花などが華やかに描かれ、高台部分には贈り主の名前入りも多いですが、海岸や川でも、よく光に透かして見ると、華やかな、あるいは時局を反映した上絵付けが剥げた跡が見つかることがありますし、骨董市で人気のあるらしいヘルメット型の盃も出ています。しかし最初から無地だったらしい場合も多く、ごく普通の日常の盃としても大量に消費されたことがわかります。また、銅版転写などの染付で「千福」などお酒の名前が描かれたものも多く、メガネのマーク入りの肝油猪口も拾っています。これらは販促品として配られたものでしょう。まとめて昭和の項に分類しましたが、小さな四角な高台を持つものなど、大正時代からあったようですので、もう少し古い物も混じっているかもしれません。

※1 
兵隊盃とも言うそうです。兵隊盃に限らず、落成記念とか、小学校の〇十周年記念とか、記念盃は戦前、あらゆる場面で作られたようです。

(統制陶器)
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                     統制番号「肥58」入り飯茶碗(似島)
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                      英文字入り「岐732」瓶(似島)
     
 太平洋戦争中、昭和16~20年に作られた陶磁器には、ごく一部の例外※2 を除いて、岐、瀬、有、肥のような産地の頭文字と数字(統制番号)が入っています。武骨で実用的なものが多く、やはり金彩などを使った贅沢な器は少ないようですが、たまに意外とお洒落なデザインや、華やかな赤絵のものも見つかり、時代の制約の中で精一杯良いモノを作ろうとした人達の心が伝わってくるような気がします。アルファベットの入ったものもあって驚きましたが、調べてみると、敵性語追放が極端になったのは昭和17年末以降のようでした。戦局の悪化につれて、追い詰められ、だんだんゆとりが無くなっていったようです。わずか3~4年の短い期間作られた統制番号入りの器たちですが、集めてみると前後の時代と繋がりながら、この時代の持つ雰囲気もあり、太平洋戦争の小さな記録なのだと思うようになりました。また、これらの陶片たちは、いわば産地と製作年代の名札付きなので、統制番号の入っていない同じようなタイプの陶片を、近い時代のものだと判断することもでき、昭和の陶片を知るうえで大切な資料となりそうです。海岸や川にも多く、最近は広島以外の各地の海岸からもたくさん拾われつつあるようです。

統制陶器ミニ図鑑 (工事中ですが、少し載せています)

※2
一部の高級食器を作っていた窯では、伝統技術の保存を目的に、統制番号をつけないものの生産が許されていました。

(戦時中の代用品)
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                          陶製の化粧品容器
                    (陶製、ガラス製、ともに江田島・切串)

 戦時中、軍需資源の確保を目的に、金属製品など日常のいろいろな道具が陶器で作られました。「代用品」と言われています。その中には、おろし金や、生け花に使う剣山などという、細かい日常の金属製品もあれば、本来ガラス製だった化粧品容器や薬の容器もありました。

(国民食器)
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                            国民食器
                    (似島、宮島、大久野島、江田島・切串)
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                     統制番号「岐454」入り湯呑(宮島)

 二本の緑色の線を縁に付けただけの白いシンプルな食器が、どの海岸や川からもゾロゾロ出てきます。国民食器とか工場食器とか呼ばれるもので、その名のとおり、工場の食堂などでも大量に使われました。戦前、毒ガス工場のあった大久野島の海岸からも大きな破片が出ています。大部分は緑の線のみですが、ときどき国鉄企業のマークの入ったものも見つかります。統制番号入りも多く、戦時中のイメージがあったのですが、統制番号の無いものもたくさんあり、それ以前、あるいは戦後になっても作られたようです。高台内に日陶製など製造元の名前や、MADE IN JAPANの文字入りもあります。器の種類は皿、小皿、丼、碗、湯呑などがほとんどですが、似島で瀬のマーク入りの角皿を拾っていて、これはとても珍しいそうです。

(緑の縦縞の器)
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                           緑の縦縞タイプ

 海岸で一つのデザインがあまりにたくさん出てくると異様な感じがすることがあります。江戸時代の雑器、くらわんか茶碗や皿はどれも似通っていますが、共通の雰囲気を持っていはいても実は豊かなバリエーションを持っています。明治の型紙摺りの器だって、鮮やかな藍色の洪水に目を奪われますが、よく見ると模様の種類の多さに感心します。銅版転写でびっしり描かれた小皿の模様には、世界的なデザインの流行、アールデコの影響があったり、大正時代のお洒落な雰囲気を持っていたりします。たくさん出てくる器には、時代の好みが繁栄されているのです。ところが国民食器と、この緑縦縞タイプは、ちょっと違います。デザイン自体は決して悪いわけではないのですが、効率と無駄の無さを優先していて、まるで「あしながおじさん」に出てくる孤児院のギンガムチェックのお揃いの服を思わせるものがあります。大量流通の背景に、時代の好みではなく、戦争と言う、時代の事情があるからでしょう。国民食器の方は各方面でいろいろ取り上げられていますが、この緑の縦縞タイプのことは、あまり触れられていません。国民食器と一緒に扱うのは私の思い込みが過ぎるだろうかと心配もありますが、一つのデザインで陶片窟のメインブログの中に項目を立てたくなるほど海岸や川から出てきますので、将来大きな修正の必要が出るかもしれないのを覚悟で取り上げてみました。

「鞆の陶片図鑑Ⅱ」の緑の縦縞タイプ  その1  その2  その3  

(防衛食容器)
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                          防衛食容器の破片
                         (似島、宮島、八幡川)
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                           防衛食容器
                        (骨董市で購入したもの)

 戦時中、金属製品の不足を補う代用品として、陶製の缶詰容器が作られました。それがこの防衛食容器です。非常食用として作られたそうです。真空状態にすることで、蓋と容器を密着させ、食べる時は釘で穴を開けて開封したそうです。特に似島の長浜海岸では、この容器の破片が多く、それは戦時中、長浜地区に軍の倉庫があり、物資の荷揚げ用桟橋が長浜海岸にあったことと関係しているのではと思っています。
「陶製の缶詰容器・防衛食」

(軍隊用食器・軍関係の文字入り容器)
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              陸軍の星のマーク入り食器・歩十一の文字入り容器(似島)
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                            (外側と内側)

 軍の施設のあった似島からは軍隊用食器も出てきました。星のマークは銅版転写で印刷してあり、右端は蓋、中央は内側に星があり、反った縁が微かに残っていますので、すとんと真っ直ぐ深くなった形の碗のようです。金属代用品のようです。歩十一とあるのは、たぶん広島に司令部があったという第五師団の歩兵第十一連隊のことではないかと思います。何の容器でしょう。ちなみに、今のところ広島の海岸や川から海軍の碇のマーク入り陶片は出ていません。

                                                        
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by 10henkutsu | 2007-04-26 09:11 | ◇昭和の陶片


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