カテゴリ:★海岸&川の陶片とは何か②( 1 )


2007年 04月 25日

海岸と川の陶片とは何か②

干潟の貝塚
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                           似島・長浜海岸
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                       陶片海岸から出たガラス製品

 陶片海岸には、100年も200年も、場所によってはそれ以上の長い間、周辺の集落から出る生活ゴミが堆積しています。割れた茶碗やお皿、丼、湯呑。土瓶の蓋や注ぎ口のような陶製品だけでなく、コーラやラムネの瓶、化粧品容器に薬壜、インク瓶といったガラス製品、家を取り壊した時にでも出たのか、小さな碍子にタイルにレンガに瓦、漁に使う沈子まで、あらゆる昔の不燃物が捨てられ堆積していますから、私は縄文遺跡のまねをして、干潟の貝塚と呼んでいます。

 干潟の貝塚は、人里離れた美しい海岸ではなく、集落近くの、ゴミゴミした生活排水の流れ込むような場所に多いので、人の目には汚らしく、誰にも惜しまれずに簡単に埋め立てられてしまいます。私が拾い始めた時には、既に良さそうな場所の大部分は埋められていました。今広島で残っているのは、観光地や、島や、開発から取り残された不便な場所、そして河口です。そんな場所で貝塚を見つけた時は、盗掘された大ピラミッド(埋め立てられた都市部の干潟)の代わりに、ツタンカーメン王の墓を見つけたような気がします。(^^ゞ

 陶片海岸は、泥の中に茶碗やガラス片が練り固められた、皆同じような場所に見えますが、よく見るとそれぞれ出てくるものが違っていて、古い歴史のある宮島や鞆からは、中国陶磁や17世紀の染付などが出ますし、軍の施設のあった似島からは、軍隊関係の陶片も出ます。港の荷を川船で輸送していた八幡川からは、やはりその時代のものが多く出ます。古いものはあまり出ず、銅版転写や昭和の陶片ばかり山ほど出る場所もあります。江戸~昭和までの陶片がバランス良く混じる場所もあります。ここは古い歴史があるからと期待して行く場合もあれば、出てきた陶片に驚いて、そこの歴史を知る場合もありました。

 干潟には、その土地固有の生物がいるように、その土地の陶片が眠っています。固有の歴史が眠っています。たとえ側にはビルが建っていようと、公園になっていようと、干潟の泥や砂は保存されていることがあります。たとえ生活排水でドブのように汚くても、土は意外に生き続けていて、地域の歴史をそっと抱きかかえて眠っています。汚水やゴミで汚れた場所は人の目に見えなくなり、忘れられて、そんな場所では過去の時間が息づいています。反対に安易に埋立などしてしまえば、見かけは美しくて、歴史的景観が保存されていようと、その土地固有の土は死に、後から再生することなど不可能です。干潟の泥に抱かれた歴史まで甦ることはないからです。
                                           
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                 鎌倉・材木座&由比ガ浜海岸の青磁片(頂き物)

 陶片を求めて海岸を歩いていると、一つ一つの海岸の歴史と将来が気になってくる一方で、広島の海岸全体について考えるようになりました。100年以上も経過した古い陶片や、戦争など近い時代の歴史や生活を記録した陶片がどれほど眠っているか見当もつかないからです。そして、日本中の海岸ではどうなのだろうと思うようになりました。最近、各地で陶片を拾う人が増え、ネットのおかげで各地で収集している人と交流することもでき、自分では拾うことのできない遠い地域の海岸の陶片を頂いたり、写真で見せて頂いたりする機会が増えました。鎌倉の材木座海岸から無数に出る、宋や南宋あたりの中国青磁や古瀬戸の破片に息を飲み、一方、他の地域の広島の海岸と同じような陶片構成を見て、江戸時代の商品流通の発達を実感することもできました。同時に広島ではなかなか見つからない、瀬戸のくらわんかを幾つも見て、地域差を感じたりしました。
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                         淡路島の陶片(頂き物)
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                          瀬戸のくらわんか
                       (頂き物&葉山で拾ったもの)

 日本各地の海岸や川から拾われた陶片をたくさん見てみたいと思います。もちろん広島で私が拾うことのできる陶片でさえ、一つ一つ素性を調べていればきりがないくらいです。実は時間が足らない、とても追いつかないです。それでも日本中の海岸から陶片がぞくぞく拾われて出てくるのを夢見てしまいます。なぜなら、海岸や川には陶片があり、日本中の海岸に、巨大な宝石の鉱脈のように、陶片がぎっしりと詰まっているはずだからです。

私はビーチコーミングをしていて陶片に出会いました。私の陶片は漂着物育ちなんです。しかし、実は陶片は海や川だけでなく、山にも、畑にも、町中の駐車場にもあるようです。窯跡のように、一部は大切な遺跡ですが、ほとんどは誰にも顧みられない、人の手を離れた陶片たちで、いわば野生の陶片とでも言うべき存在です。陶片は果てしない広がりを持っていそうです。
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by 10henkutsu | 2007-04-25 18:49 | ★海岸&川の陶片とは何か②