カテゴリ:◆陶片のある場所( 1 )


2007年 04月 26日

陶片はどんな場所にあるか

 古い陶片は広島のどこの海岸や川からでも出てきました。たくさんあるという意味では決して珍しいものではありません。島の海岸や、呉線沿岸の干潟などからは、明治~昭和戦前の面白い陶片が幾らでも出てきますし、江戸時代のものだってちょっと注意して探せば見つかることも多いです。殆どの海岸が埋め立てられてしまった広島市中心部でも、川を探せばけっこう古い陶片を拾うことができます。埋立地の干潟でさえ、海から打ち寄せられたのか、埋立に使った土にでも混じっていたのか、よく見ると小さな明治の印判食器の破片くらいは見つかります。ここでは私が歩いた海岸や川の中で、陶片の多かったり、印象に残っている場所を紹介します。

→「陶片窟」の地図 広島湾・呉線沿岸1  呉線沿岸2  福山市・鞆周辺

(宮島、大鳥居~宮島水族館周辺の干潟)
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 世界遺産にもなった安芸の宮島には厳島神社の周りに広い干潟があります。大鳥居の近くは毎日観光客であふれ、潮干狩りのシーズンには波打ち際が人で埋まるほど賑やかな場所です。こんな場所に中国陶磁や中世くらいには遡れそうな土器の破片、大量の江戸陶片、近代陶片が出てきます。他の海岸や川では、近代以前の陶片は、近代陶片の中に少し混じる程度ですが、ここだけは毎回、採集品の過半数を占めます。今年で拾い始めて11年(2007年現在)になり、訪れた回数も飛び抜けて多く、そのため、私が収集した近代以前の陶片は、宮島で拾ったものが一番多いです。保存状態も非常に良い場合が多いので、陶片窟で使った陶片写真も宮島のものが中心になりました。ただ、最近は拾える量が極端に減ってきているのが気になっています。
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                       宮島から出た唐津、土器など →大きな画像

 歴史のある場所ですから古いものが拾えるのは当然と言えば当然ですが、何百万人もの人が歩いたに違いない足元に古伊万里の美しい破片などが無造作に転がっている風景はなんとも不思議な気がします。人間はそこにあるものを見るのではなく、自分の見たいものを見ているのでしょう。「何でも鑑定団」のようなテレビ番組に人気があり、骨董市ではたくさんの人が古い陶磁器を買い求めていますが、彼らは宮島へ遊びに来た時、足元の破片に気が付いたでしょうか。(*^_^*)   


(鞆の浦・雁木下と焚場遺構のある干潟)
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                         鞆城跡から眺める鞆の浦

 福山市鞆は万葉の昔から潮待ち、風待ちの港として栄え、中世には中国探題が置かれたり、城が築かれたりして政治的にも重要な場所でした。近世以降は北前船などの寄港地として、流通の拠点となり、鞆の津と呼ばれて、港町、商業の町として栄えたそうです。今でも江戸時代の港湾施設がそのまま残っています。その港湾施設である雁木(階段状になった船着場)の下と、焚場遺構のある干潟東側から大量の陶片が出てきます。
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                        焚場遺構のある干潟東側

 特に現在埋立予定地となっている焚場遺構のある干潟東側では、12~14世紀頃の中国青磁や17世紀の肥前の染付、青磁など、特に古い時代の貴重な陶片を拾っています。18~19世紀頃の江戸陶片も、保存状態こそ良い方ではありませんが、小さな破片が毎回ゾロゾロ見つかります。また、ここの地場産業である保命酒の古い容器も多く、なかでも狸の形をした可愛らしい徳利の破片が無数に出てくるのも、ここの干潟の特徴です。
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                  鞆の陶片(雁木下&焚場遺構のある干潟東側)←大きな画像

→「鞆の陶片について考える
 「鞆・埋立予定地の陶片図鑑
 「鞆・雁木下の陶片


(似島・長浜海岸)
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 広島港からフェリーで20分、海上に浮かぶその姿から安芸の小富士とも呼ばれる似島は緑の濃い美しい島で、海岸沿いの道を歩くと、磯のにおいと山肌のにおいが微かに混じりあい、広島の海辺の楽しさを存分に味わえます。しかし、この島は戦前、軍の検疫所や捕虜収容所があり、原爆の時にはたくさんの被爆者が運ばれて、ここで亡くなりました。そんな歴史を持つ島ですが、陶片は検疫所や捕虜収容所のあった島の東側にはそれほどありません。
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                          長浜海岸の陶片 →大きな画像

 似島で陶片が多いのは、島の西側、似島港から歩いて15~20分程度の長浜海岸です。戦前は海水浴場だった時期もあり、今でも似島で一番目立つ5階建ての大きなペンションが建っています。似島港にも近い、アサリのよく獲れる干潟ですが、長浜には戦時中、軍の倉庫があって、似島の人でも許可無く立ち入れない時代があり、長浜海岸から物資の揚げ降ろしをしていたそうです。※1 これらの歴史の反映でしょうか、長浜海岸の干潟からは、他の島では見たことがないほど多量の明治~昭和戦前の陶片が出てきます。なかでも銅版転写という、版画のエッチングのような技法で印刷された食器類と、昭和の国民食器、統制番号入り防衛食容器などの多さ、保存状態の良さは他の海岸と比較して群を抜いています。年に数回拾ってきた程度なのですが、私の近代陶片コレクションの過半数がここで拾ったものです。江戸時代の陶片も主として18世紀以降の雑器がけっこう出ていますが※2、しかし近代以降の陶片の質と量に比べると特筆するほどではないです。

※1 参考文献 「ふるさと似島」(ふるさと似島編集委員会発行)
※2 18世紀前半か、もしかしたら17世紀の可能性もありそうな、比較的古い陶片を一つ拾っています。

(八幡川河口付近)
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 八幡川は上流の湯来町(現在は合併して広島市佐伯区湯来町)から、広島市佐伯区五日市周辺の市街地を流れ、広島湾に注いでいます。流域には山陽道も通り、古くから開けた地域で、かつては五日市港からの物資を八幡川を使って運んでいたそうです。私が陶片を拾っているのは、JR山陽本線鉄橋から河口に架かる新八幡川橋までの700メートルくらいです。干潮時この辺りは広い干潟となりますが、土が比較的固くて歩きやすい場所です。その泥の上にも、残った浅い流れの中にもたくさんの陶片が顔を出しています。             
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 似島の長浜海岸に近代の銅版転写皿が多いのに対して、こちらはもう少し古い、明治の型紙摺りタイプが目立ちます。また近代以前の陶片も、私が歩く海岸や川の中では多い方で、大部分は18世紀以降の雑器ですが、宮島で出るものとよく似た土器や須恵器っぽい陶片、古いすり鉢、17世紀ではと思える染付なども拾っています。川の流れにたえず晒されるせいか、頑丈な底の部分や縁だけで出てくることも多いのですが、竜と宝珠の模様のついた江戸時代の小皿が非常によい状態で見つかったこともあります。日によって当たり外れのある八幡川河口ですが、運の良い日には質の良い陶片が大量に出ることもあります。新八幡川橋から外側、人工干潟の方向に向かって歩くにつれ、やや泥が深くなり歩きにくくなります。そして私が歩いたことのある範囲に限って見る限り陶片は少ないです。また、JR山陽本線鉄橋付近の上流側はなぜか陶片が少ないです。それよりももっと上流へ行けば、また陶片に出会うのではと思うのですが、まだ歩いてみていません。

(呉線沿岸)
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                             呉市、天応

 JR海田市駅から三原駅まで、海岸沿いを走るJR呉線は、車窓に広島湾や瀬戸内海の景色が広がる鄙びた路線です。安芸郡坂町~呉市間には、工場などの建物の間に小さな干潟も多く、陶片の多い河口もあり、明治~昭和戦前の陶片が少しずつ見つかりますし、丁寧に探せば江戸後期の雑器なども出てきました。狭い範囲に幾つもある干潟をハシゴすれば、手軽に陶片漁りを楽しめる地域です。またJRの本数も少なくなる、呉から三原までは、比較的広い干潟があり、安芸津町風早など良い陶片海岸の続く場所もあります。

(島の海岸)
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                        倉橋島、鹿老渡(かろうと)

 広島湾内から、広島県東部の福山市沿岸まで、広島には大小さまざまな島があります。それらの海岸から、明治~昭和戦前の近代陶片に、時々江戸陶片も混じった状態で少しずつ出てきます。小さな干潟に眠るそれらを拾い集めていけば、塵も積もればなんとやら、数十年、100年、200年前の島の歴史や生活が見えてきます。広島湾内には、近代陶片の宝庫、似島の他にも、金輪島、江田島、能美島など、良い干潟のある島が多く、潮干狩りや散歩のついでに探しても楽しいです。江戸時代に風待ち、潮待ちの港として栄えた倉橋島の鹿老渡や、大崎下島では土地の歴史を楽しみながら拾います。レースのように繊細な波打ち際、穏かな海面にチラチラ反射する陽射しを楽しみながら歩く春から初夏の島の海岸は、すぐそばにある山の緑が濃くて、磯の香りと山肌の土の匂いが混ざり合い、気持ちが良いものです。
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               大久野島の毒ガス工場の陶片と、統制番号入り食器など

 うっとりするような柔らかい風景を楽しむ心に冷水を浴びせられたような気がするのが、竹原市忠海町の大久野島です。ここは戦前、毒ガス工場があり、そのため海岸には当時の毒ガス関係の陶製容器の破片などが無数に見つかりました。

(広島市内と、その周辺の川) 

 広島市内中心部やその周辺の人口の多い地域では、海岸の大部分が埋め立てられていて、陶片の拾える良い干潟も少ないです。しかし、こんな地域でも川があります。河口付近や、潮の影響を受ける下流では干潮時、川床が現れますし、小さな水量の少ない川なら、ゴム長靴で水の中を歩いて陶片を拾うこともできます。
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                            広島市内、天満川
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                            天満川の陶片

 広島市中心部を流れる大きな川は水深も深く、たとえ土が見えている場所でも、実際には泥が深くて歩けない場合も多いのですが、中区と西区の間を流れる天満川の、天満橋から広瀬橋の間では、江戸陶片混じりの近代陶片がけっこう出てきます。市内中心部でも、空振りを恐れず、丁寧にあるけば、もっと拾える場所があるだろうと思っています。

 広島市佐伯区五日市周辺は仕事の関係で比較的よく歩いています。元は五日市漁港に繋がる川で、埋め立てられて河口部分だけが残った場所があり、陶片だらけでした。会社の近くなので、短い時間を利用しては何度も歩いたものです。
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                    広島市、五日市の元河口から出た陶片 →大きな画像

 ここは江戸陶片はなく、明治の型紙摺りもほとんど見ませんでしたが、銅版転写や戦時中の統制番号入りの食器がけっこう見つかりました。河口も埋められて池のような状態だったのですが、潮の影響は受けていて、干潮時に現れる川底を歩くと、ドブの臭いのする泥の中に、チョコバーの中のナッツのようにぎっしり詰まった保存状態の良い陶片を拾うことができました。素晴らしい場所でしたが、発見して3ヶ月後に埋め立てられてしまいました。

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                        海田町、瀬野川河口付近
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                         瀬野川河口付近の陶片        
        
 広島市に隣接する海田町を流れる瀬野川は東広島市を源とする二級河川で、海田湾に注いでいます。その河口付近を干潮時に歩くと、かなりの陶片が出てきます。近代陶片だけでなく、江戸中期以降の雑器も混じっています。また支流の畑賀川は小さな川ですが、川底を漁ると小さな陶片があり、時々拾う機会があったため、気がつくと小さな引き出しにいっぱい集まりました。縁がなければ、わざわざ歩かなかった場所ですが、それでも時には江戸時代のくらわんか茶碗の大きな破片が出てきて驚いたこともあります。古い陶片は、ほんとうにどこにでもあるようです。

陶片窟現地ツアー
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by 10henkutsu | 2007-04-26 10:12 | ◆陶片のある場所