陶片窟-ブログ版TOUHEN-KUTSU

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2007年 04月 26日

TOUHEN-KUTSU

陶片窟  陶片窟ブログ化についてf0133749_10303640.jpg
 海岸や川では、いろいろな時代の陶磁器の破片が見つかります。最近捨てられたものだけでなく、江戸、明治、大正、戦時中のもの、時にはもっと古い時代のものまで、身近な海岸に無造作に転がっています。昔の茶碗や皿、化粧品容器、灯明皿、陶製人形、すり鉢やおろし金などの台所用品・・・海の底から漂着したり、干潟の泥の中にゴミとして眠っていたり、海岸はタイム・カプセルなのです。私は瀬戸内海に面した広島の海岸や川を歩いて、それらを拾い集めて楽しんでいます。
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この本館(メイン・ブログ)は3つの部分で構成されています。

1.★総論的な記事
  「気分は宝さがし」「海岸や川の陶片とは何か その1・その2」「海岸や川の陶片の未来」
 陶片拾いの楽しさ、海岸や川になぜ陶片があるのか、陶片から何が見えるのか、海岸や川の陶片が秘めている可能性、私の陶片への夢について書いています。

2.◆広島の陶片海岸&陶片川の紹介
  ・「陶片のある場所」私が歩いた広島の海岸や川について書いています。

3.◇陶片図鑑
  土器や中国陶磁、江戸時代の陶片から、明治、大正、昭和、戦時中、そして戦後の陶片まで、広島の海岸や川から出てくる代表的な陶片、数は少ないけれど貴重な陶片を大まかに分類して紹介します。これらの陶片は、たとえば東日本に多い瀬戸の古い陶片が少ないなど、地域による差もありますが、ほぼ日本中で出てくるだろうと思っています。

陶片窟別館
 陶片窟にはたくさんの別館があります。「陶片窟」本館(メイン・ブログ)は陶片窟世界の玄関でもあり、ここからいろいろな部屋(別館ブログ)に入っていけるようになっています。

陶片窟の引き出し
 別館と言うより、本館と一体になった陶片窟の奥座敷です。本館の記事の補足説明も兼ねていますが、本館とは独立した記事も増やしていく予定です。

陶片窟の基礎講座」 初めて海岸や川の陶片を拾ってみようと思った方へ。陶片探しの最初の日を楽しむための、お試しセット的知識です。 古い陶片は貴重でおもしろいものですが、たくさんあります。簡単に拾うことができます。
「鞆・雁木下の陶片」
 福山市鞆には江戸時代の港湾施設がそのまま残っています。当時の港は潮の干満にあわせて船を付けられるよう階段状になっていました。その雁木の下の小さな干潟から拾った陶片を集めました。
「鞆・埋立予定地の陶片図鑑」 
福山市鞆の架橋計画で埋立予定地となっていた干潟には、実はたくさんの古い陶片が眠っています。拾い始めたのは2006年からですが、僅かな間に大量の陶片を収集することができました。

f0133749_8512080.gif「陶片窟日記」
陶片窟の日記ブログです。日々の陶片拾いの話題など、もっとも頻繁に更新しております。新しく陶片窟および別館ブログ全体のコメント用窓口も作りました。 new
「陶片狂の玩具箱」
 現在は「陶片窟日記」と合併しました。私が趣味で集めた古い絵葉書や古雑誌など、ガラクタ類の紹介をしています。これまでの記事はそのまま読めます。

彼岸花の一年
 お彼岸の頃、突然あたりを真っ赤に染めて咲く彼岸花。花の時期以外はどんな姿をしているのだろう・・・そんな疑問から花の終わった後を追いかけてみました。
見たものブログ
 ふとおもしろくて撮ってしまった写真、陶片窟日記で使いきれなかった写真。そんな半端な写真を成仏させるために作ったフォトアルバムです。

陶片窟のリンク集

f0133749_9305197.gif ご意見、お問い合わせについて
 
「陶片窟日記」に陶片窟および別館ブログ全体のコメント用窓口を設けました。管理者本人だけ読むことのできる鍵コメ機能もございます。



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by 10henkutsu | 2007-04-26 10:14 | ★TOP
2007年 04月 26日

気分は宝さがし

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                       牡蠣殻付き陶片(明治、似島)
    
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                       フジツボの白い痕付き陶片
                     (江戸時代、19世紀くらい、似島)   

 海岸で拾う陶片は、干潟の泥の中で長い時を過ごす間に少し角が取れ、優しい姿をしています。表面の釉薬が剥げたり、なかには牡蠣の殻や海藻などの生物が付着した陶片もあります。器肌に付いたフジツボは、剥がしても白い跡が点々と残ります。一つの海岸陶片には、作られた時代のこと、使われ捨てられた記憶、そして陶片自身の海での暮らしの痕跡が刻まれています。

 版画のような素朴な印刷の可愛らしい花模様や動物が小さな破片となって出てきたり、古い染付の破片が甲羅干しをする亀のように、干潟に転がっていたりします。泥だらけの美少女のようだったり、艶々と豊満な健康美だったり、汚れを落としてみたら、高貴な生まれの姫君であったり、陶片との出会いはさまざまです。

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 私が歩く広島の海岸は、プラスチックや発泡スチロール片などのゴミだらけで、場所によっては、泥の上にうっすら虹色の油が浮いていたり、浜一面、牡蠣の殻で白く覆われていたりします。潮風に混じってドブの臭いがすることもあります。
 
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 私の歩く川はヘドロっぽい泥が固まっていたり、手を伸ばすのがためらわれる程ドロドロした水であったりします。河口には小さな船やボートがぎっしり係留されています。集落近くの干潟では牡蠣養殖の棚が並び、干潮時にはアサリを掘る人達がいます。私はそんな海岸を古い陶片を求めて歩き回ります。陶片は人里離れた海岸ではなく、昔から人の生活の染み込んだ場所にあるからです。
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                      江戸時代の皿の唐草模様(宮島)

 拾い集めた陶片達は毎日撫で回し、棚に飾って眺め、引き出しや箱に入れては、また出して分類し、私は至福の時を過ごします。江戸時代の皿の、裏に描かれた唐草模様は、まるで職人の筆跡のようで、量産品とはいえ、一つ一つに個性があります。雑器の絵には手馴れた勢いがあり、少々の模様の失敗などは平気だったようですが、わざとレトロっぽくしたのではない、このおおらかさが飽きずに収集を続けたくなる理由の一つかもしれません。

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                    くらわんか碗・皿(18~19世紀、宮島)→大きな画像

 潮の干満の差が大きい地域ですので、できるだけ大潮の日に干潮時を狙って出かけますが、今日は何が拾えるだろうかと、気分は宝さがしです。海岸で陶片を探していると、歩いた地域の昔の世界が一瞬鮮やかに私の前に現れて、胸がドキドキすることがあります。

 「陶片窟」は良くも悪くも等身大の、歩いた足跡分の世界です。拾ったものは庶民の雑器が殆どですので、美術や骨董の本に載っているような高級品のことがよくわかりません。当時の流通の関係で、瀬戸や美濃のものも、広島の海岸から出てきたのは大部分が幕末以後のものですので判らないことが多いです。最近は多くの人のご厚意で、古瀬戸や、江戸期の瀬戸・美濃系陶片をたくさん手にすることができましたので、少しずつ勉強してはいますが、亀さんのごとき進歩です。判断に迷うものや、何だろう?と思うものなど、未整理のまま抱え込んでいる陶片もかなりあります。「陶片窟」は広島の海岸や川と、旅先で歩いた幾らかの場所での経験をもとに書いています。最近では多くの人から日本各地の陶片を頂いたり、写真で見せてもらったりする幸運に恵まれ、日本中の海岸について、おぼろげなイメージも生まれつつありますが、まだまだ日本全体の海岸や川に存在する陶片については未知の部分が多いです。この未知の世界を私自身が少しでも知るために作ったブログですので、何かお気付きの点など、教えて頂ければうれしいです。
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by 10henkutsu | 2007-04-26 10:13 | ★気分は宝さがし
2007年 04月 26日

陶片はどんな場所にあるか

 古い陶片は広島のどこの海岸や川からでも出てきました。たくさんあるという意味では決して珍しいものではありません。島の海岸や、呉線沿岸の干潟などからは、明治~昭和戦前の面白い陶片が幾らでも出てきますし、江戸時代のものだってちょっと注意して探せば見つかることも多いです。殆どの海岸が埋め立てられてしまった広島市中心部でも、川を探せばけっこう古い陶片を拾うことができます。埋立地の干潟でさえ、海から打ち寄せられたのか、埋立に使った土にでも混じっていたのか、よく見ると小さな明治の印判食器の破片くらいは見つかります。ここでは私が歩いた海岸や川の中で、陶片の多かったり、印象に残っている場所を紹介します。

→「陶片窟」の地図 広島湾・呉線沿岸1  呉線沿岸2  福山市・鞆周辺

(宮島、大鳥居~宮島水族館周辺の干潟)
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 世界遺産にもなった安芸の宮島には厳島神社の周りに広い干潟があります。大鳥居の近くは毎日観光客であふれ、潮干狩りのシーズンには波打ち際が人で埋まるほど賑やかな場所です。こんな場所に中国陶磁や中世くらいには遡れそうな土器の破片、大量の江戸陶片、近代陶片が出てきます。他の海岸や川では、近代以前の陶片は、近代陶片の中に少し混じる程度ですが、ここだけは毎回、採集品の過半数を占めます。今年で拾い始めて11年(2007年現在)になり、訪れた回数も飛び抜けて多く、そのため、私が収集した近代以前の陶片は、宮島で拾ったものが一番多いです。保存状態も非常に良い場合が多いので、陶片窟で使った陶片写真も宮島のものが中心になりました。ただ、最近は拾える量が極端に減ってきているのが気になっています。
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                       宮島から出た唐津、土器など →大きな画像

 歴史のある場所ですから古いものが拾えるのは当然と言えば当然ですが、何百万人もの人が歩いたに違いない足元に古伊万里の美しい破片などが無造作に転がっている風景はなんとも不思議な気がします。人間はそこにあるものを見るのではなく、自分の見たいものを見ているのでしょう。「何でも鑑定団」のようなテレビ番組に人気があり、骨董市ではたくさんの人が古い陶磁器を買い求めていますが、彼らは宮島へ遊びに来た時、足元の破片に気が付いたでしょうか。(*^_^*)   


(鞆の浦・雁木下と焚場遺構のある干潟)
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                         鞆城跡から眺める鞆の浦

 福山市鞆は万葉の昔から潮待ち、風待ちの港として栄え、中世には中国探題が置かれたり、城が築かれたりして政治的にも重要な場所でした。近世以降は北前船などの寄港地として、流通の拠点となり、鞆の津と呼ばれて、港町、商業の町として栄えたそうです。今でも江戸時代の港湾施設がそのまま残っています。その港湾施設である雁木(階段状になった船着場)の下と、焚場遺構のある干潟東側から大量の陶片が出てきます。
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                        焚場遺構のある干潟東側

 特に現在埋立予定地となっている焚場遺構のある干潟東側では、12~14世紀頃の中国青磁や17世紀の肥前の染付、青磁など、特に古い時代の貴重な陶片を拾っています。18~19世紀頃の江戸陶片も、保存状態こそ良い方ではありませんが、小さな破片が毎回ゾロゾロ見つかります。また、ここの地場産業である保命酒の古い容器も多く、なかでも狸の形をした可愛らしい徳利の破片が無数に出てくるのも、ここの干潟の特徴です。
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                  鞆の陶片(雁木下&焚場遺構のある干潟東側)←大きな画像

→「鞆の陶片について考える
 「鞆・埋立予定地の陶片図鑑
 「鞆・雁木下の陶片


(似島・長浜海岸)
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 広島港からフェリーで20分、海上に浮かぶその姿から安芸の小富士とも呼ばれる似島は緑の濃い美しい島で、海岸沿いの道を歩くと、磯のにおいと山肌のにおいが微かに混じりあい、広島の海辺の楽しさを存分に味わえます。しかし、この島は戦前、軍の検疫所や捕虜収容所があり、原爆の時にはたくさんの被爆者が運ばれて、ここで亡くなりました。そんな歴史を持つ島ですが、陶片は検疫所や捕虜収容所のあった島の東側にはそれほどありません。
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                          長浜海岸の陶片 →大きな画像

 似島で陶片が多いのは、島の西側、似島港から歩いて15~20分程度の長浜海岸です。戦前は海水浴場だった時期もあり、今でも似島で一番目立つ5階建ての大きなペンションが建っています。似島港にも近い、アサリのよく獲れる干潟ですが、長浜には戦時中、軍の倉庫があって、似島の人でも許可無く立ち入れない時代があり、長浜海岸から物資の揚げ降ろしをしていたそうです。※1 これらの歴史の反映でしょうか、長浜海岸の干潟からは、他の島では見たことがないほど多量の明治~昭和戦前の陶片が出てきます。なかでも銅版転写という、版画のエッチングのような技法で印刷された食器類と、昭和の国民食器、統制番号入り防衛食容器などの多さ、保存状態の良さは他の海岸と比較して群を抜いています。年に数回拾ってきた程度なのですが、私の近代陶片コレクションの過半数がここで拾ったものです。江戸時代の陶片も主として18世紀以降の雑器がけっこう出ていますが※2、しかし近代以降の陶片の質と量に比べると特筆するほどではないです。

※1 参考文献 「ふるさと似島」(ふるさと似島編集委員会発行)
※2 18世紀前半か、もしかしたら17世紀の可能性もありそうな、比較的古い陶片を一つ拾っています。

(八幡川河口付近)
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 八幡川は上流の湯来町(現在は合併して広島市佐伯区湯来町)から、広島市佐伯区五日市周辺の市街地を流れ、広島湾に注いでいます。流域には山陽道も通り、古くから開けた地域で、かつては五日市港からの物資を八幡川を使って運んでいたそうです。私が陶片を拾っているのは、JR山陽本線鉄橋から河口に架かる新八幡川橋までの700メートルくらいです。干潮時この辺りは広い干潟となりますが、土が比較的固くて歩きやすい場所です。その泥の上にも、残った浅い流れの中にもたくさんの陶片が顔を出しています。             
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 似島の長浜海岸に近代の銅版転写皿が多いのに対して、こちらはもう少し古い、明治の型紙摺りタイプが目立ちます。また近代以前の陶片も、私が歩く海岸や川の中では多い方で、大部分は18世紀以降の雑器ですが、宮島で出るものとよく似た土器や須恵器っぽい陶片、古いすり鉢、17世紀ではと思える染付なども拾っています。川の流れにたえず晒されるせいか、頑丈な底の部分や縁だけで出てくることも多いのですが、竜と宝珠の模様のついた江戸時代の小皿が非常によい状態で見つかったこともあります。日によって当たり外れのある八幡川河口ですが、運の良い日には質の良い陶片が大量に出ることもあります。新八幡川橋から外側、人工干潟の方向に向かって歩くにつれ、やや泥が深くなり歩きにくくなります。そして私が歩いたことのある範囲に限って見る限り陶片は少ないです。また、JR山陽本線鉄橋付近の上流側はなぜか陶片が少ないです。それよりももっと上流へ行けば、また陶片に出会うのではと思うのですが、まだ歩いてみていません。

(呉線沿岸)
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                             呉市、天応

 JR海田市駅から三原駅まで、海岸沿いを走るJR呉線は、車窓に広島湾や瀬戸内海の景色が広がる鄙びた路線です。安芸郡坂町~呉市間には、工場などの建物の間に小さな干潟も多く、陶片の多い河口もあり、明治~昭和戦前の陶片が少しずつ見つかりますし、丁寧に探せば江戸後期の雑器なども出てきました。狭い範囲に幾つもある干潟をハシゴすれば、手軽に陶片漁りを楽しめる地域です。またJRの本数も少なくなる、呉から三原までは、比較的広い干潟があり、安芸津町風早など良い陶片海岸の続く場所もあります。

(島の海岸)
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                        倉橋島、鹿老渡(かろうと)

 広島湾内から、広島県東部の福山市沿岸まで、広島には大小さまざまな島があります。それらの海岸から、明治~昭和戦前の近代陶片に、時々江戸陶片も混じった状態で少しずつ出てきます。小さな干潟に眠るそれらを拾い集めていけば、塵も積もればなんとやら、数十年、100年、200年前の島の歴史や生活が見えてきます。広島湾内には、近代陶片の宝庫、似島の他にも、金輪島、江田島、能美島など、良い干潟のある島が多く、潮干狩りや散歩のついでに探しても楽しいです。江戸時代に風待ち、潮待ちの港として栄えた倉橋島の鹿老渡や、大崎下島では土地の歴史を楽しみながら拾います。レースのように繊細な波打ち際、穏かな海面にチラチラ反射する陽射しを楽しみながら歩く春から初夏の島の海岸は、すぐそばにある山の緑が濃くて、磯の香りと山肌の土の匂いが混ざり合い、気持ちが良いものです。
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               大久野島の毒ガス工場の陶片と、統制番号入り食器など

 うっとりするような柔らかい風景を楽しむ心に冷水を浴びせられたような気がするのが、竹原市忠海町の大久野島です。ここは戦前、毒ガス工場があり、そのため海岸には当時の毒ガス関係の陶製容器の破片などが無数に見つかりました。

(広島市内と、その周辺の川) 

 広島市内中心部やその周辺の人口の多い地域では、海岸の大部分が埋め立てられていて、陶片の拾える良い干潟も少ないです。しかし、こんな地域でも川があります。河口付近や、潮の影響を受ける下流では干潮時、川床が現れますし、小さな水量の少ない川なら、ゴム長靴で水の中を歩いて陶片を拾うこともできます。
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                            広島市内、天満川
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                            天満川の陶片

 広島市中心部を流れる大きな川は水深も深く、たとえ土が見えている場所でも、実際には泥が深くて歩けない場合も多いのですが、中区と西区の間を流れる天満川の、天満橋から広瀬橋の間では、江戸陶片混じりの近代陶片がけっこう出てきます。市内中心部でも、空振りを恐れず、丁寧にあるけば、もっと拾える場所があるだろうと思っています。

 広島市佐伯区五日市周辺は仕事の関係で比較的よく歩いています。元は五日市漁港に繋がる川で、埋め立てられて河口部分だけが残った場所があり、陶片だらけでした。会社の近くなので、短い時間を利用しては何度も歩いたものです。
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                    広島市、五日市の元河口から出た陶片 →大きな画像

 ここは江戸陶片はなく、明治の型紙摺りもほとんど見ませんでしたが、銅版転写や戦時中の統制番号入りの食器がけっこう見つかりました。河口も埋められて池のような状態だったのですが、潮の影響は受けていて、干潮時に現れる川底を歩くと、ドブの臭いのする泥の中に、チョコバーの中のナッツのようにぎっしり詰まった保存状態の良い陶片を拾うことができました。素晴らしい場所でしたが、発見して3ヶ月後に埋め立てられてしまいました。

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                        海田町、瀬野川河口付近
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                         瀬野川河口付近の陶片        
        
 広島市に隣接する海田町を流れる瀬野川は東広島市を源とする二級河川で、海田湾に注いでいます。その河口付近を干潮時に歩くと、かなりの陶片が出てきます。近代陶片だけでなく、江戸中期以降の雑器も混じっています。また支流の畑賀川は小さな川ですが、川底を漁ると小さな陶片があり、時々拾う機会があったため、気がつくと小さな引き出しにいっぱい集まりました。縁がなければ、わざわざ歩かなかった場所ですが、それでも時には江戸時代のくらわんか茶碗の大きな破片が出てきて驚いたこともあります。古い陶片は、ほんとうにどこにでもあるようです。

陶片窟現地ツアー
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by 10henkutsu | 2007-04-26 10:12 | ◆陶片のある場所
2007年 04月 26日

陶片図鑑 2 (中国陶磁など)

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                           中国陶磁(宮島) →おおきな画像

 広島の海岸からも、ごく僅かですが中国陶磁など、古い輸入陶磁の破片が拾えます。宮島からは南宋~元(12~14世紀)頃かと思える青磁の破片明あたりの染付或いはその可能性の高いもの福建省の窯らしいものなども出ていますし、中国陶磁の可能性があると言われた甕もあります。また、李朝か李朝写しの唐津だと言われたものも拾っています。

 宮島の中国陶磁の出方にはやや特徴があります。他の江戸時代の陶片が宮島の干潟のかなり広い範囲から出るのに対して、中国陶磁は比較的厳島神社に近い場所で見つかる傾向があります。拾った数そのものが多くはないため、偶然かもしれないのですが、それでも今まで拾ったものはすべて神社のまわりか、それに続く大鳥居のそばの干潟で拾っています。

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                    中国青磁(12~14世紀くらいか、鞆)

 中国陶磁は福山市鞆の埋立予定地の干潟からも拾っています。写真の青磁は外側に蓮弁の模様があり、見込みに「吉」の文字と花の模様のある手の込んだものです。鞆では、その他に中国ではないかと思うものがもう一つ出ています。埋立が回避されれば、これから幾つも出てくるのではないかと思います。

 今のところ私が歩いた広島の海岸や川で古い輸入陶磁が見つかったのはこの二つの場所だけです。しかし、陶片を追いかけて、広島の歴史に触れる機会が増えるにつれ、出てきても不思議ではない場所は他にもけっこうありそうに思えてきました。
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by 10henkutsu | 2007-04-26 10:06 | ◇中国陶磁
2007年 04月 26日

陶片図鑑 1 (土器・須恵器など)

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                         土器いろいろ(宮島) →大きな画像
 宮島の干潟からはたくさんの土器がみつかります。厳島神社の周辺や、それに続く場所で多く出る傾向がありますが、宮島水族館の裏に広がる干潟あたりからも出てきます。時代はよくわかりませんが、中世以降のものが多いらしいです。もっと古い時代のものも混じっているのかどうか、今のところ私には判らないでいます。

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                        須恵器っぽい破片(宮島)

 土器がたくさん出てくるのに対して、須恵器っぽいタイプの陶片はあまり拾っていません。これはどうだろうか?と思うものが僅かにあるのみです。私の知識不足もあり、ごく小さな破片を見落としているかもしれません。

 宮島で出るのと似た質感の土器片や、叩き痕のある陶片を八幡川からも拾っています。→八幡川の土器・など  

将来、私の知識が増えて、ここの記事を全面的に書き換えることができればいいなと思っています。
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by 10henkutsu | 2007-04-26 10:06 | ◇土器・須恵器
2007年 04月 26日

陶片図鑑 3 (17~18世紀の陶片)

一部の土器、須恵器、中国陶磁を除き、広島の海岸や川から出る最も古い陶片と言えば、この時代のものです。※1 16世紀末~17世紀初めの古唐津や、それに続く時代の肥前系陶器、17世紀半ば~18世紀前半の素朴に、或いは丁寧に作られた染付の器、青磁類です。美しい陶片が多いです。

※1 宮島で15世紀頃の古瀬戸片では?と思う破片を拾っていますが、よくわかりません。

(古唐津)
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                           古い唐津(宮島) →大きな画像

古い唐津の器※2 は高台内に兜巾と呼ばれる、円錐状の削り残しがあるものや、特に古いものは高台が低くて、高台脇と高台の区分がはっきりしないものが多いそうです。宮島でも滅多に出ませんから、迷いながら拾っています。天目茶碗タイプや、鉄釉の絵のあるものも見つかりました。
 17世紀のものには、窯で器を重ね焼きした時の痕である砂目跡が残っていることもあります。これは見たらすぐ判りますので、私も収集を始めて間もない頃から拾ってきました。これは宮島以外に、鞆の埋立予定地の干潟や倉橋の鹿老渡でも見つけています。

※2 見出しは一応「古唐津」としましたが、実はこの言葉を使うには躊躇があります。古唐津とは、唐津の草創期である桃山時代から江戸時代初期、慶長~元和(1596~1624年)頃に焼かれた唐津焼のことだそうですが、私がここに載せたものはもう少し時代の幅がありそうだからです。正確には、私が拾った唐津系の陶片の中で、比較的古いタイプと言ったほうがよさそうです。

(京焼風陶器)
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                           京焼風陶器と断面
                    (17世紀後半~18世紀前半、宮島)
         
 淡い黄土色で、高台がカミソリで削ったように鋭い薄手の器が時々宮島などから出てきます。他の古い唐津のザラザラとした器肌と違い、きめの細かい生地が特徴で、京焼風と呼ばれる肥前系の器だそうです。高台内に「柴」などの文字が彫ってある場合もあります。また、これによく似ていますが、土の色がもっとくすんでいるタイプや、蛇の目釉剥ぎのあるもの雰囲気は似ているけれども高台の作りが違うものなどはもっとたくさん出てきます。これらは概ね17世紀後半~18世紀前半のものだそうですが、どこまでが京焼風陶器なのか、私は拾いながらちょっと迷っています。
 脆いのか、底と縁が同時に出たことがありませんが、小皿と碗が殆どのようです。たまにちょっと変わった形のものも拾っていますが、京焼風と考えてよいのかどうか迷っています。本や資料館などで見る京焼風陶器はけっこう高級な感じですが、宮島や鞆で拾ったものは、むしろ素朴な雰囲気です。今のところ、これが出たのは宮島と鞆だけで、どの海岸からも出るわけではありませんから、後の「くらわんか茶碗」のように庶民の間に普及していたわけではなさそうですが、宮島では大量に出ています。当時から厳島神社への参詣者で賑やかだった場所ですので、もしかしたら食べ物屋などでも使われたのでしょうか。たくさん集めても今一つパッとしない、華やかさに欠ける陶片ですが、淡い色のこの器にご飯を盛ったり、野菜や小魚の煮付けなど乗せたりすると、美味しそうに見えたのではないかと思います。

(17~18世紀前半の肥前系陶器)

 肥前系陶器は、17世紀半ば~18世紀前半くらいのものになると、宮島で保存状態のかなり良いものが、たくさん出てくるようになります。鞆でも小さな破片を毎回のように拾っています。なかでも目立つのが銅緑釉や白い釉の掛かった小皿、そして刷毛目模様のついた碗や皿です。

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                          銅緑釉の小皿と裏側
                        (17~18世紀前半、宮島)
    
 銅緑釉には、青磁のような透明感はなく、時にはどぎついほど鮮やかな色をしています。銅緑釉の小皿には頑丈な高台を持った分厚いタイプと薄手のタイプがあるようです。分厚いタイプの中には高台内に削り残し(兜巾)があったりしますので、もしかしたら17世紀前半くらいのやや古いものかもしれません。蛇の目釉剥ぎのあるものが多いです。

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                     白い生地に白い釉が掛かった小皿
                        (17~18世紀、宮島) →大きな画像

 白い釉の小皿は、生地の白さが特徴です。小皿ばかり、幾つも拾っています。これも蛇の目釉剥ぎのあるものが多いです。くらわんか皿との区別が微妙で迷うことがあります。

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                         刷毛目タイプの碗・小皿
                        (17~18世紀前半、宮島) →大きな画像

 白化粧土の刷毛目がついた器には、土の違い、器の厚みなど、いろいろなタイプがあります。蛇の目釉剥ぎのあるものは少ない気がします。他の肥前系の陶器が高台周辺に土を見せているのに対し、この刷毛目タイプの碗には高台を前面施釉したものがけっこう多いです。そのため古いものとわからず、長い間収集対象からはずれ、たくさんあることに気がついてからも、半信半疑で拾っていました。碗や皿以外に、鉢や片口、 火入など、台所用品、生活用品も目立ちますが、これらは時代にもう少し幅があるようです。

(17世紀の染付と18世紀前半のちょっと高級な染付)

                   1640~1690年代くらいの染付の小皿
                         (宮島、八幡川、鞆) →大きな画像
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 私が拾った日本製の染付の中で、もっとも古い時代のものです。17世紀半ば~末くらいまで、初期伊万里と呼ばれる年代のすぐ後の時代くらいだろうと思います。高台径が小さくて、高台の畳み付きの部分を釉剥ぎしたものもあり、細かい砂の付着がある場合もあります。全体に素朴な感じです。拾ったものの大部分は宮島から出たものですが、鞆からも小さな破片が出ました。八幡川からは如意頭の連続模様のある陶片を拾っています。これもたぶんこの時代でよいのだろうと思います。

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                        17世紀後半の染付(宮島) ←針支えのある裏側
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                        17世紀後半の染付(宮島) ←おおきな画像と裏側

 私が拾った陶片の中に、絵付けが丁寧で、筆の線がきりっとした感じのする美しい染付があります。17世紀後半の丁寧に作られた染付です。野の花に流水らしい模様のある陶片は墨弾きの技法を使って濃淡をつけています。裏には針支えの跡があります。その下の輪になった唐草の皿は、葉の部分まで丁寧に輪郭を描いてから中を塗っています。宮島で拾ったこの2つは10センチ前後もある比較的大きな破片ですが、その他にも、この時代らしい、ごく小さな破片を幾つか拾っています。

 宮島や鞆などから、海岸にも輸出された時代の器たちが少しずつ見つかりますが、そのほとんどは簡単な絵付けのもので、アンティークの本にでも出てきそうな、古伊万里らしい古伊万里はほんとうにごく僅かです。それでも、この時代の華やかな陶磁器文化の片鱗が広島の海岸からも見つかることに感動しました。

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                           花唐草の小皿
                       (18世紀前半くらいか、宮島)←大きな画像

 可憐な花唐草は18世紀になってたくさん作られますが、17世紀末くらいにもあり、これはどちらかなと迷いました。小皿ですが、よく見ると皿の縁に小さな窪みがあり、花をかたどった輪花皿であることがわかります。裏は薄く青磁釉が掛かっているようで、花唐草も丁寧で呉須の色の発色も良い方で美しいです。見込みの部分に微かに呉須の色が残っていますので、18世紀に大流行した五弁花があったのではないかと想像しています。でも・・・これも17世紀末くらいには出始めるらしい。うーん・・・(^^ゞ

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                        江戸時代の型紙摺り小皿
                         (18世紀前半、宮島) →大きな画像と説明

 下の写真は型紙を使って絵付けした小皿です。江戸時代の型紙摺りなんですね。美濃地方でも江戸時代に陶器に型紙摺りで模様をつけたものが作られていますが、肥前系の染付にもあります。18世紀前半のもので、量産技法と言うより、装飾方法の一つだったらしいです。そんなわけで、近代のものとは違い、けっこう高級品です。このタイプは裏の手描きの唐草模様も繊細で美しいです。

(青磁と青磁染付)
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                    17~18世紀の青磁&青磁染付(宮島など)    

 ここの記事は17~18世紀半ばくらいの陶片が中心ですが、青磁だけはもう少し後の時代のものも一緒に取り上げています。けっこう古いものが出てきますが、17~18世紀、或いは江戸時代くらいしか私に区別できないものも多いからです。
 17世紀後半、佐賀県の有田や長崎県の波佐見では、模様を彫ったり、一部に染付の模様を入れた美しい青磁皿が作られました。宮島や鞆からもこの時代の青磁片が出てきています。また、細かい年代の判らない香炉類、18世紀頃らしい仏花瓶も拾っています。18世紀後半になると、青磁染付碗が宮島では大量に出てくるようになり、他の海岸や川でもけっこう見つかりますが、これは18世紀~幕末の陶片①で取り上げました。
 江戸時代の青磁の多くは派手な色はしていません。灰色やベージュに近い色のものも多いです。でもこうやって集めてみると、大地から生まれた緑色、青色なんです。
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by 10henkutsu | 2007-04-26 09:58 | ◇17~18世紀の陶片
2007年 04月 26日

陶片図鑑 4 (18世紀~幕末の陶片①)

 お金持ちの贅沢品だった磁器の器も、18世紀になると大衆化します。18世紀前半くらいから作られ始めた「くらわんか」タイプの碗などが、いろいろな海岸や川でも出てくるようになり、特に18世紀半ばを境に、何か見えない線でも引いてあるかのように、それ以前とは比べものにならないほど大量の陶片が出るようになります。広島でもこの頃、磁器、半磁器の食器が庶民に普及したのでしょう。呉線沿岸や島の干潟からも、広島市内や周辺の川からも、ごく身近な場所で、これら江戸時代の雑器たちは拾えます。

(くらわんか)
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                    くらわんかの茶碗と皿(18世紀、宮島)
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                        くらわんか碗・梅の木文
                       (18世紀半ば~後半、宮島)
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                    くらわんか皿(コンニャク判の五弁花入り)→裏側の写真
                       (18世紀半ば~後半、宮島)

 海岸や川で拾える江戸陶片の代表と言えば「くらわんか」と呼ばれる茶碗小皿たちです。典型的なタイプは18世紀のもので、頑丈で分厚いものが多く、碗の場合、19世紀のものより、現代の器との違いがよりはっきりしていて、江戸時代の陶片の中で最も拾いやすいです。小皿は18世紀後半くらいから、底が蛇の目凹型高台になったタイプが増えるようです。くらわんかの器は底と縁の両方が残った大きな破片で出ることも珍しくなく、古い陶片を拾ったという満足感を味わえます。コンニャク判と呼ばれるスタンプ模様や、雑ではあっても勢いのある手描きの絵の素朴な良さ、手に持った時の心地良い重さと、大らかな姿、見つけるたびにうれしいものです。皿の中央、見込みの部分には、五弁花(ごべんか)というワンポイント模様がついているものも多いので、干潟のなかでこの部分を見つけると、「あった!」とすべてを忘れて駆け寄ってしまいます。これらの器の一部は白い器肌の磁器ですが、磁器の原料と陶器用の粘土を混ぜたりした半磁器製品も多く、その境界線は曖昧で、作り方も姿同様おおらかなものだったようです。

(青磁染付碗)
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                      青磁染付碗(18世紀後半、宮島)     
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                           青磁染付碗復元図 

 外側だけに青磁釉を掛けた蓋付きの素朴な碗は18世紀後半に大流行したそうで、宮島からは引き出し一つを占領するほど拾っています。特徴があるので、小さな破片となっても見つけやすく、他の海岸や川でもけっこう出ています。青磁とはいえ、庶民の器だったようです。内側は染付で、たいていは底に五弁花や、五弁花の成れの果てのようなワンポイント模様があり、縁には四方襷(よもだすき)と呼ばれる飾りがあります。蓋がついていて、蓋と本体の模様は対になっています。くらわんか的な雑器で、お世辞にも美しいとは言えない、灰色がかった鈍い薄緑色が多いのですが、ときどき惚れ惚れするような澄んだ緑色をしたものもあります。

(薄手の碗)
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                 薄手の碗(18~19世紀初め頃、宮島、八幡川) →大きな画像
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                           薄手の碗(宮島)

 江戸時代の碗の中には非常に薄手のものが時々あります。器が薄いだけではなく、高台が持ちにくいほど低く、飯茶碗かどうか判らないほど小さいものもありますが、熱いお茶など入れたら手が熱かったのではと思うほどです。薄い分、割れやすかったのではとも思うのですが、宮島ではけっこう出てきます。花唐草や、氷裂文の中に菊花を散らしたものなど、優雅な模様も多いようです。年代は18世紀前半のものと、1780~1810年代くらいのものがあるらしいです。

(瓶類)
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                     いろいろな瓶(18~19世紀、宮島) →大きな画像

 18~19世紀の瓶も時々拾っています。ごく小さいものを除き、首の部分と銅が繋がったまま出たことはありません。どうしても割れてしまうのでしょうね。細い首の部分などが出ている蛸唐草の瓶は19世紀のもの。拾ったものの多くは小瓶ですが、かなり大きな瓶だったろうと思われる破片もあります。宮島、鞆などから少しずつ拾っています。

(そば猪口・湯呑・盃類)
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                 そば猪口・湯呑・盃(18~19世紀、宮島・似島) →大きな画像

 そば猪口は時々出てきますが、縁と底がバラバラに出ることが多いです。湯呑や盃もたくさん出てきますが、もともと小さい器ですから、割れると本当に小さな破片になってしまいます。湯呑とそば猪口の縁、大き目の湯呑や盃と飯茶碗は区別がつきにくいことがあります。

(信仰の器)
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                       仏飯器(18~19世紀、宮島)

 ご飯を盛り付けて仏様に供えるための器です。現代のものに比べて、ご飯を盛る部分がやや大きいようで、くらわんか茶碗を小さくして足をつけたような素朴な姿をしています。海岸や川の陶片は、生活に不可欠な飯茶碗、小皿、湯呑が圧倒的に多いのですが、これは昔の人々の素朴な信仰心を感じさせる陶片です。
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by 10henkutsu | 2007-04-26 09:46 | ◇18世紀~幕末の陶片①
2007年 04月 26日

陶片図鑑 5 (18世紀~幕末の陶片②)

 江戸時代も後期になると、雑器でも比較的薄くて器肌の白い器も多くなります。19世紀~幕末独特の形や模様もあり、それと判りますが、江戸時代か明治のものか、ひょっとしてもっと後のものか判らず悩むこともあります。感覚的に現代のものに近い姿をした食器が多くなるのです。数の上では18世紀のくらわんかタイプよりたくさん出てきますし、よりたくさんの海岸で見つかりますが、古そうな雰囲気がないものも多く、慣れないうちは近代ものと区別がつきにくい場合もあります。ごく身近な海岸の、現代の陶片やプラスチックゴミの中で、なんの違和感も感じさせずに、たった一つだけ混じっていたりするのが江戸後期~幕末の陶片です。

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                              広東碗
                  (18世紀末~19世紀前半、宮島、八幡川)

 名前こそ広東碗ですが日本製の飯茶碗です。18世紀末から19世紀前半に大流行しました。大きなしっかりした高台を持ち、外に向かって広がった形をしています。19世紀の他の碗同様、見込みの部分には、いたずら書きのような、雑なワンポイント模様が描かれている場合が多いです。蓋付きも多かったそうですが、もちろん海岸からは一緒に出てきたりはしません。(^^ゞ 広東碗は私の歩いたあらゆる海岸や川から、頑丈な底の部分がたくさん出ています。 
       
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                    線描きタイプ(江戸後期~幕末、宮島)

 18世紀末以降、線描きのみの模様が流行します。清朝の影響だそうです。宮島以外の場所でもたくさん見つかっています。雑な描き方をしたものも多いのですが、丁寧に描かれたものは繊細で美しく、江戸陶片とはいえ、洋食の器にもなりそうな雰囲気のものもあります。大皿も作られ、宮島や鞆で出ています。線描きタイプは明治になっても合成染料を使って作られています。

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                  海浜風景の皿(幕末~明治、似島、宮島、鞆) →大きな画像&裏

 19世紀になると、島(山)と帆掛け舟、網代、東屋、松の木などを配した海浜模様の小皿がたくさん作られます。ちょっと深めの皿で蛇の目凹型高台の、頑丈なタイプが多いようです。広島の海岸や川からもよく出てきます。私の目には、これらが昔の広島湾の風景に見えてしまいます。遠くの島(山)は現在の広島港から見た似島というわけです。もしかしたら、これを買った人達の、それぞれの故郷の風景に似ることで愛された器なのかもしれません。海浜模様皿は激動の明治維新を越え、明治になっても合成染料を使ってたくさん作られたようです。

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                           菊花型打ち小皿
                      (幕末~明治か、宮島、鞆、似島) →大きな画像  

 これもたくさん出てきます。ちょっとお洒落で清楚な皿なので人気があったのでしょう。目立たずにそっと料理を引き立たせてくれそうですが、そのくせこの小皿、どんなに小さな破片になっても、波で削られて摩滅していてもそれとわかります。おとなしそうですが、意外と個性があるんです。この形の白磁皿はかなり古いものもあるようですが、近代陶片が中心の海岸からもよく出てきますので、拾ったものの多くは幕末~明治くらいなのではと思っています。私には今のところ、それくらいしか判りませんので、明治以降の近代モノも混じっているかもしれませんが、このコーナーに入れました。海浜風景皿と同じように、ごく小さなサイズのものを除いて、底は蛇の目凹型高台です。ほとんどが白磁皿ですが、たまに青磁釉の掛かったものを拾っています。

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                       瀬戸・美濃系の茶碗・湯呑・盃→大きな画像&裏
                    (江戸後期~幕末、宮島、八幡川、似島)

 東日本の海岸ではけっこう珍しくないらしい中世~18世紀頃の瀬戸・美濃地方の器は、広島ではほとんど拾っていませんが、19世紀になると、広島の海岸や川からも、それまでの肥前系の陶片に混じって、瀬戸・美濃系のものが出るようになります。湯呑など小さな器が多く、いかにも手軽な雑器という感じです。光をよく通す白い器肌に、たっぷり呉須を含んだ筆で模様が描かれていて、これが現代の器でないと知った時は驚きでした。模様は唐草や霊芝文、源氏香図、福の字などの他、似ているので私が勝手に染色体模様と呼んでいる湯呑や盃もあります。

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                     馬の目皿(19世紀~幕末頃、宮島)
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                           馬の目皿(裏)

 骨董市などでお馴染みの瀬戸の馬の目皿も、宮島と八幡川からほんの少し出ています。断面や高台あたりの土は、ざっくりときめの荒い感じです。
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                           馬の目皿復元図
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by 10henkutsu | 2007-04-26 09:41 | ◇18世紀~幕末の陶片②
2007年 04月 26日

陶片図鑑 6 (18世紀~幕末の陶片③)

(18世紀半ば以降のお洒落で楽しい器たち)
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                      江戸時代のお洒落な陶片たち
                 (18~19世紀、宮島、鞆、八幡川、似島、江田島) →大きな画像

 18世紀半ば~幕末頃の器は染付の模様も雑で、絵の線もベタッとした、くたっとした感じがします。でも染料の呉須をたっぷり使って、蝶や牡丹の花、鳥、コウモリ、・・・いろいろな模様が描かれています。金彩を塗った、ちょっと豪華な皿の破片も見つかりました。単純な小皿や碗だけでなく、染付の八角鉢のような凝った形のものも時々出てきます。少し前の時代なら余程のお金持ちでないと持てなかったような、凝ったデザインの器が、宮島や鞆のような豊かな土地を中心にたくさん出てきます。多くの人の目に触れ、手に取られ、たくさんの人生の中に、愛らしくて、楽しい食器たちが入っていった様子が、海岸や川の陶片からも見えてきます。現代に通じる大衆社会の到来?を思わせます。一方、江戸時代は徹底したリサイクル社会だったそうですが、陶片にも修理した跡のあるものが見つかります。割れたお皿や碗を焼継という方法でくっつけて、捨てずに使ったんですね。

(色絵皿)
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                      色絵小皿(似島、18~19世紀か) →大きな画像&裏

 伊万里の器と言えば、博物館や骨董市、アンティークの本で目立つのは色絵皿ですが、海岸で近代以前の色絵と判るものはなかなか拾えません。広島の場合、2007年6月現在、似島で拾った写真の小皿の他に、たぶん17世紀のものかと思える虫文の陶片と、雑な色絵付けのある小皿を宮島で拾っているだけです。染付と違って剥げやすい上絵付けですから、似島の陶片のように美しいままで出るのは余程運が良くないと難しいでしょうが、上絵の剥げた跡があるものや、色絵の部分が抜け落ちたように見える染付なども見つかっていません。破片の場合、欠けた部分に色絵があっても判りにくいでしょうし、もともと贅沢品ですから数そのものも少なかったのでしょうが、江戸時代の色絵がもっと出てくればいいなと思っています。

(化粧道具など)
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                      紅皿・嗽碗(18世紀~幕末、宮島)
                      油壷(17~18世紀、宮島) →おおきな画像
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                   貝殻の形をした紅皿(19世紀前半、宮島)
        
 海岸や川からは食器以外にもいろいろな生活道具が出てきますが、これらは化粧用具です。上の写真左側の、ままごとの道具のような小さな皿はすべて紅皿です。化粧用の紅を塗りつけて売られていてました。貝殻にそっくりな型押しタイプと、無地あるいは簡単な染付のある少し大きめのタイプを宮島で拾っています。右上の大きな破片は、おはぐろ用の嗽(うがい)碗だそうです。大振りの碗で、外側よりも主として内側に模様があるのが特徴らしいです。碗の中央の丸い模様は宝珠です。周りに描かれているのは宝珠と一緒に描かれることが多い竜ではないかと思います。嗽碗の下の小さな瓶は油壷で、鬢付油を入れていました。

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              段重・蓋物(18世紀~幕末、宮島、鞆)と裏側の釉剥ぎ部分 →大きな画像     
  
 積み重ねる形の器で現在でも身近なものと言えば、漆器やプラスチック製の、おせち料理を盛る重箱くらいですが、江戸時代や、近代以降も少なくとも明治、大正頃までは、陶製の段重(重箱)が大活躍していたようです。蓋付きの容器とともに、宮島や鞆から時々出てきます。
 内側を見ると、縁の釉が剥いであり、碗に似たカーブのある蓋物の方はこの部分で碗と区別します。用途はいろいろだったらしいですが、小さめの段重(重箱)は白粉入れに使われることが多かったそうです。江戸時代の段重や蓋物の蓋には、なぜか復元図や一番下の写真のようなデザインのつまみが多いようです。
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                           段重の復元図
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                 蓋のつまみ部分(江戸時代に多いデザイン、宮島)

(文房具)
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                        水滴(18~19世紀、宮島)

 これは書道に使う水滴です。海岸で出てくる江戸陶片は圧倒的に飯茶碗や小皿など日常食器が多く、ついですり鉢、甕、鉢、瓶、灯明具など、台所や暮らしの道具たちです。骨董市では定番の水滴は、海岸では滅多に出てきません。数だって食器のようにたくさんは必要ないですし、やはり幾らか贅沢品なのでしょう。江戸時代のものは宮島と八幡川から4個出ています。それ以外に江戸モノか近代モノか迷っているものを、宮島と鞆で2~3個拾っています。近代以降の水滴は底にたっぷりと釉が掛かっているものが多いのですが、江戸時代のものは、底の施釉はないのが普通のようです。共通した雰囲気がありますので、一度拾うと、かなり小さいものでも見分けがつくようになりました。
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by 10henkutsu | 2007-04-26 09:36 | ◇18世紀~幕末の陶片③
2007年 04月 26日

陶片図鑑 7 (暮らしの道具)

灯明具やすり鉢、甕など、古いことは確かだけれども、細かい時代が私にはわからないものをまとめてみました。

(灯明具)
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                             灯明具
                     (江戸時代~ 宮島、江田島・切串) →大きな画像

 電灯やランプが普及する以前の明かりの道具も宮島や鞆、江田島・切串から出てきます。長時間使えるように改良したひょうそく、皿の中に灯芯を立てる部分がついたタンコロ。小さな素焼きの、或いは鉄釉などを掛けた灯明皿も、宮島からたくさん拾っています。時代は当然、江戸時代のものが多いでしょうが、近代になってもしばらくは、この手の灯明具も使われていただろうと思います。

(すり鉢)
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                            古いすり鉢
                     (?~江戸時代、宮島、八幡川、鞆) →おおきな画像
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                     古いすり鉢の櫛目部分(すべて宮島)

 詳しい時代も産地もよくわからないままで拾ってきました。現代のすり鉢は櫛目が隙間なく入っていますが、古いものほど櫛目が少ないそうです。私の拾ったものも、江戸時代のものが多いとは思いますが、中にはもっと古い時代のものも混じっていそうです。大部分宮島から出たものですが、八幡川からも少し拾っています。食器類の産地が、江戸後期になるまで肥前地域に集中しているのに対し、すり鉢は土も作り方も様々で、備前や唐津、たぶん関西地域のものなど、いろいろな時代の、さまざまの産地のものが入ってきているのではないかと思います。

(甕、壷)
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                         甕・壷(時代不明、宮島) →大きな画像

 持ち帰るのが憂鬱になりそうな大きな破片から、手に乗るほどの可愛らしいサイズまで、たくさん出てくる甕や壷の類いですが、今のところ拾うだけで、ほとんど分類ができないでいます。しかし、中には大きな窯印のついた、備前の大甕らしい破片も出ていて、これはかなり古いだろうと思っています。

(土瓶)
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                       関西系の土瓶の蓋(幕末頃、宮島)

 広島城の堀跡発掘調査報告書の中に、まったく同じタイプの土瓶の蓋が出ていて、そこに関西系とありました。私が広島で拾い始めた頃、たて続けに幾つかこのタイプを見たのですが、その時は古いものとは思わず、気が付いてから慌てて拾った陶片がこれです。以後、なぜかごく小さな破片を除いて、このタイプに出会いません。それと本体はどんなものなのか、知りたいと思っています。
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by 10henkutsu | 2007-04-26 09:33 | ◇暮らしの道具