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2007年 04月 26日

TOUHEN-KUTSU

陶片窟  陶片窟ブログ化についてf0133749_10303640.jpg
 海岸や川では、いろいろな時代の陶磁器の破片が見つかります。最近捨てられたものだけでなく、江戸、明治、大正、戦時中のもの、時にはもっと古い時代のものまで、身近な海岸に無造作に転がっています。昔の茶碗や皿、化粧品容器、灯明皿、陶製人形、すり鉢やおろし金などの台所用品・・・海の底から漂着したり、干潟の泥の中にゴミとして眠っていたり、海岸はタイム・カプセルなのです。私は瀬戸内海に面した広島の海岸や川を歩いて、それらを拾い集めて楽しんでいます。
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この本館(メイン・ブログ)は3つの部分で構成されています。

1.★総論的な記事
  「気分は宝さがし」「海岸や川の陶片とは何か その1・その2」「海岸や川の陶片の未来」
 陶片拾いの楽しさ、海岸や川になぜ陶片があるのか、陶片から何が見えるのか、海岸や川の陶片が秘めている可能性、私の陶片への夢について書いています。

2.◆広島の陶片海岸&陶片川の紹介
  ・「陶片のある場所」私が歩いた広島の海岸や川について書いています。

3.◇陶片図鑑
  土器や中国陶磁、江戸時代の陶片から、明治、大正、昭和、戦時中、そして戦後の陶片まで、広島の海岸や川から出てくる代表的な陶片、数は少ないけれど貴重な陶片を大まかに分類して紹介します。これらの陶片は、たとえば東日本に多い瀬戸の古い陶片が少ないなど、地域による差もありますが、ほぼ日本中で出てくるだろうと思っています。

陶片窟別館
 陶片窟にはたくさんの別館があります。「陶片窟」本館(メイン・ブログ)は陶片窟世界の玄関でもあり、ここからいろいろな部屋(別館ブログ)に入っていけるようになっています。

陶片窟の引き出し
 別館と言うより、本館と一体になった陶片窟の奥座敷です。本館の記事の補足説明も兼ねていますが、本館とは独立した記事も増やしていく予定です。

陶片窟の基礎講座」 初めて海岸や川の陶片を拾ってみようと思った方へ。陶片探しの最初の日を楽しむための、お試しセット的知識です。 古い陶片は貴重でおもしろいものですが、たくさんあります。簡単に拾うことができます。
「鞆・雁木下の陶片」
 福山市鞆には江戸時代の港湾施設がそのまま残っています。当時の港は潮の干満にあわせて船を付けられるよう階段状になっていました。その雁木の下の小さな干潟から拾った陶片を集めました。
「鞆・埋立予定地の陶片図鑑」 
福山市鞆の架橋計画で埋立予定地となっていた干潟には、実はたくさんの古い陶片が眠っています。拾い始めたのは2006年からですが、僅かな間に大量の陶片を収集することができました。

f0133749_8512080.gif「陶片窟日記」
陶片窟の日記ブログです。日々の陶片拾いの話題など、もっとも頻繁に更新しております。新しく陶片窟および別館ブログ全体のコメント用窓口も作りました。 new
「陶片狂の玩具箱」
 現在は「陶片窟日記」と合併しました。私が趣味で集めた古い絵葉書や古雑誌など、ガラクタ類の紹介をしています。これまでの記事はそのまま読めます。

彼岸花の一年
 お彼岸の頃、突然あたりを真っ赤に染めて咲く彼岸花。花の時期以外はどんな姿をしているのだろう・・・そんな疑問から花の終わった後を追いかけてみました。
見たものブログ
 ふとおもしろくて撮ってしまった写真、陶片窟日記で使いきれなかった写真。そんな半端な写真を成仏させるために作ったフォトアルバムです。

陶片窟のリンク集

f0133749_9305197.gif ご意見、お問い合わせについて
 
「陶片窟日記」に陶片窟および別館ブログ全体のコメント用窓口を設けました。管理者本人だけ読むことのできる鍵コメ機能もございます。



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by 10henkutsu | 2007-04-26 10:14 | ★TOP
2007年 04月 26日

気分は宝さがし

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                       牡蠣殻付き陶片(明治、似島)
    
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                       フジツボの白い痕付き陶片
                     (江戸時代、19世紀くらい、似島)   

 海岸で拾う陶片は、干潟の泥の中で長い時を過ごす間に少し角が取れ、優しい姿をしています。表面の釉薬が剥げたり、なかには牡蠣の殻や海藻などの生物が付着した陶片もあります。器肌に付いたフジツボは、剥がしても白い跡が点々と残ります。一つの海岸陶片には、作られた時代のこと、使われ捨てられた記憶、そして陶片自身の海での暮らしの痕跡が刻まれています。

 版画のような素朴な印刷の可愛らしい花模様や動物が小さな破片となって出てきたり、古い染付の破片が甲羅干しをする亀のように、干潟に転がっていたりします。泥だらけの美少女のようだったり、艶々と豊満な健康美だったり、汚れを落としてみたら、高貴な生まれの姫君であったり、陶片との出会いはさまざまです。

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 私が歩く広島の海岸は、プラスチックや発泡スチロール片などのゴミだらけで、場所によっては、泥の上にうっすら虹色の油が浮いていたり、浜一面、牡蠣の殻で白く覆われていたりします。潮風に混じってドブの臭いがすることもあります。
 
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 私の歩く川はヘドロっぽい泥が固まっていたり、手を伸ばすのがためらわれる程ドロドロした水であったりします。河口には小さな船やボートがぎっしり係留されています。集落近くの干潟では牡蠣養殖の棚が並び、干潮時にはアサリを掘る人達がいます。私はそんな海岸を古い陶片を求めて歩き回ります。陶片は人里離れた海岸ではなく、昔から人の生活の染み込んだ場所にあるからです。
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                      江戸時代の皿の唐草模様(宮島)

 拾い集めた陶片達は毎日撫で回し、棚に飾って眺め、引き出しや箱に入れては、また出して分類し、私は至福の時を過ごします。江戸時代の皿の、裏に描かれた唐草模様は、まるで職人の筆跡のようで、量産品とはいえ、一つ一つに個性があります。雑器の絵には手馴れた勢いがあり、少々の模様の失敗などは平気だったようですが、わざとレトロっぽくしたのではない、このおおらかさが飽きずに収集を続けたくなる理由の一つかもしれません。

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                    くらわんか碗・皿(18~19世紀、宮島)→大きな画像

 潮の干満の差が大きい地域ですので、できるだけ大潮の日に干潮時を狙って出かけますが、今日は何が拾えるだろうかと、気分は宝さがしです。海岸で陶片を探していると、歩いた地域の昔の世界が一瞬鮮やかに私の前に現れて、胸がドキドキすることがあります。

 「陶片窟」は良くも悪くも等身大の、歩いた足跡分の世界です。拾ったものは庶民の雑器が殆どですので、美術や骨董の本に載っているような高級品のことがよくわかりません。当時の流通の関係で、瀬戸や美濃のものも、広島の海岸から出てきたのは大部分が幕末以後のものですので判らないことが多いです。最近は多くの人のご厚意で、古瀬戸や、江戸期の瀬戸・美濃系陶片をたくさん手にすることができましたので、少しずつ勉強してはいますが、亀さんのごとき進歩です。判断に迷うものや、何だろう?と思うものなど、未整理のまま抱え込んでいる陶片もかなりあります。「陶片窟」は広島の海岸や川と、旅先で歩いた幾らかの場所での経験をもとに書いています。最近では多くの人から日本各地の陶片を頂いたり、写真で見せてもらったりする幸運に恵まれ、日本中の海岸について、おぼろげなイメージも生まれつつありますが、まだまだ日本全体の海岸や川に存在する陶片については未知の部分が多いです。この未知の世界を私自身が少しでも知るために作ったブログですので、何かお気付きの点など、教えて頂ければうれしいです。
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by 10henkutsu | 2007-04-26 10:13 | ★気分は宝さがし
2007年 04月 26日

海岸と川の陶片とは何か①

陶片海岸
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                           似島・長浜海岸

 海岸の中には、浜辺に散乱するゴミの中に占める陶片の割合が、あきらかに他の海岸よりも高い場所があります。時には浜のゴミの大部分が陶片という海岸もあります。私はこのような場所を陶片海岸と呼んでいます。広島の海岸の場合、陶片海岸はそんなに広い範囲ではなく、規模が大きな場合でもせいぜい100~200メートル程度、あるいは宮島のようにその程度の場所が幾つか集まったものです。実際には海岸の隅に陶片が幾つも集中して出てくる場所があるという、陶片ポイントとでも言った方が良さそうな場所も多いです。川の中にも、干潮時川床が現れる河口付近や、岸の近く、或いは小さな浅い流れの中からたくさんの陶片が拾える場合があります。私は陶片川と呼んでいます。
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                          海田町・瀬野川河口
                           
 これらの陶片の多くは、新しそうに見えても最近捨てられたものではなく、少なくとも数十年以上はたっている場合が多く、たくさん陶片が出ていれば、明治、大正時代のものなら、ほぼ確実に混じっていると言ってもよいくらいです。また陶片海岸と言うほど陶片が出てこない海岸や川からも、拾ってみたら古いものが混じっている可能性はとても高いようです。

陶片はなぜ出てくるのか

 陶片はなぜ海岸や川から出てくるのでしょうか。私がよく歩き回った広島の場合を中心に考えて見ます。そもそも陶片が出てくる理由としては、以下の5つの理由が考えられそうです。

 1.遺跡からの流出
 2.陶磁器の流通過程での流出
 3.生活ゴミの堆積
 4.大量投棄された陶片
 5.埋立の土に混じっていたもの

 このうち、1.遺跡からの流出とは、海岸や川の近くに遺跡があり、雨などで遺物が流れ出してくるケースです。しかし広島は窯業産地ではありませんので、窯跡からの陶片はあまり考えられません。※1 遺跡も、無いとは言えないでしょうが、出てくる陶片の大部分を占める近代陶片の理由ではなさそうです。

 2.陶磁器の流通過程での流出とは、沈没船の積荷と、船から捨てられた荷のことです。福岡の玄界灘周辺は海の難所で、海底に沈没船も多いらしく、その昔、伊万里港から陶磁器を満載して消費地に向かった千石船の積荷が大量に海岸に打ちあがります。事故で沈んだ陶磁器なので、時には完品のまま漂着することも珍しくないようです。当時の日本全体の陶磁器需要を反映しているわけですから、その量も桁違いで、長年にわたり収集研究している方もおられます。しかし海の穏かな広島の場合、2.のケースは、沈没船の積荷よりも、主として港や川の荷揚げ場所で、破損した陶磁器が捨てられた場合が中心ではないかと思います。※2 鞆の雁木下に堆積している陶片の中にはそんな陶片も混じっているかもしれません。

 3.生活ゴミの堆積とは、海岸や川に捨てられた陶磁器が長い間に干潟に堆積したり、河岸に堆積したものが流れ出たりしたものです。広島では不燃物の回収システムなどのない昔、割れた陶器の破片などは海岸に捨てられていました。※3 ただし、どこにでも投げ捨てたわけではなく、その地域での暗黙の了解程度のゴミ捨て場があり、たいていはそこに捨てられることが多かったようです。大崎下島の御手洗では、実際に地元の方から、埋立前に割れた茶碗などを投げ捨てていた場所について聞くことができましたし、私の母の記憶でも、今は埋め立てられた広島市安芸区矢野町の海岸に、茶碗などが集中して捨てられていた場所があったそうです。 実際に私が拾った海岸でも、陶片は一箇所に集中して出る傾向があり、アサリの掘れる干潟の隅の小石がゴロゴロしているような場所などに多いのです。一箇所に折り重なるようにして出てくる陶片は、宮島のように昔から賑わった場所では、他の海岸よりも古いものが出てきますし、戦時中に軍の施設のあった似島の海岸では、やはりその時代のものが多いようです。そんな陶片の出方を見ても、その地域に住んでいた人達が代々捨ててきたゴミの堆積であることを思わせます。地域から出た生活ゴミの堆積であるため、陶片はその地域の、その時代の生活水準、経済力を越えないものとなり、出てくるものの大部分は、飯茶碗や小皿など、生活に不可欠な雑器です。また元々捨てられた不燃物ゴミですから、完形品はほとんどありません。広島の陶片海岸の多くは、他の要素と絡みながらも、この生活ゴミの堆積ではないかと思っています。

 また陶片は河口付近に集中して出る場合もあり、これは川から流れてきたものと、河口に直接捨てられたものが長い間に堆積した結果だろうと思います。ただし、川から流れてきた陶片がすべて生活ゴミとして捨てられたものとは限らず、川のそばに遺跡でもあれば、そこから流れ出す場合もあるかもしれませんし、その川がかつて地域の物資の運搬に中心的な役割を果たしていたなら、その残滓もでてくると思います。広島市の八幡川河口に江戸後期~明治時代、19世紀のものが多いのは、大正時代頃まで、この川を使っての物資の運搬が盛んだったことに関係があるかもしれませんし、古そうな土器や須恵器っぽい陶片が出たのも、川の流域の歴史を含んでいるからかもしれません。

 4.大量投棄された陶片のある海岸は、私が知っている範囲では広島に2ヶ所あります。一つは鞆で、地場産業の保命酒の古い容器が浜一面に散乱しています。これらは皆、最近のものではなく、多くは戦前、様々な産地で作られたらしいもので、見ているだけでおもしろくて、私は鞆へ行くたびに保命酒の容器を夢中で探します。大量投棄とはいっても、長い期間にわたって捨てられたらしく、これも地元の歴史のようなもので、生活ゴミの堆積に近いものだと思っています。
 もう一つは竹原市大久野島で、現在は国民休暇村となっている美しい島ですが、戦前、ここには毒ガス工場がありました。何年も前、私が訪れた時には、北部の海岸一面に灰色や茶色の同じような形をした陶片が無数に散らばっていました。毒ガス工場関係の陶片でした。聞くところによると、戦後、進駐軍が来る前に、それらの容器は海へ捨てられたのだそうです。その漂着もありそうですが、しかし集中的に折り重なるように出ている場所がありますので、海岸にも埋めたのでは?と思ってしまいます。こちらは生活ゴミとはまったく質の違う、特殊な歴史を背景に出てくる陶片です。

 5.埋立の土に混じっていたもの。これは海岸陶片の素性を最も判りにくくする要素です。埋立地の海岸や人工海岸では、あまり陶片が拾えないことが多いようですが、それでも探してみれば、小さな破片を見つけることができます。これらの陶片はその海岸周辺から漂着したものかもしれませんが、埋立の土の中に混じっていた可能性も高そうです。また海岸の一部に外部の砂を入れている場合も多く、この場合も出てきた陶片は、その海岸由来のものではないかもしれません。海岸の陶片は、遺跡から出た陶片と違い、その素性が実に不確かな部分もあります。

 陶片はなぜ海岸や川から出てくるのでしょうか。もともと波や川の流れで移動したり、潮干狩りで掘り返されたりする場所にありますので、窯跡など遺跡に眠る陶片と違い、陶磁器が人の手を離れた時の状況が保存されにくく、特に現代では埋立による土の移動ということも考えられ、一つ一つの陶片の素性は正確にはわからないと思います。しかし、幾つもの陶片海岸、陶片川を塊として捉えた時、古い歴史のある場所からは古い時代の陶片が出てきますし、物資の輸送の中心だった川からは、その時代のものがたくさん出ます。軍の施設があれば、軍隊に関係した陶片が出ます。掘り返されたり、移動したり、外から持ち込まれたり、不確かな要素は多くても、干潟も川も、生活ゴミと生きるための活動から出たゴミを長い年月堆積させて、地域の歴史をしっかりとその懐に溜め込んでいるようです。広島の海岸や川に多い堆積ゴミ系の陶片とは、何世代にもわたる生活の記録であり、それを拾うことは、陶片というモノを通して、海岸や川に眠る過去の世界と出会うことだと思っています。泥の中から拾われた陶片は、温かく息をしていて、それを抱きしめることで、私が育った地域の過去と肌を接しているような気がします。

※1
 東広島市入野には、明治時代の窯があり、日常雑器を焼いていました。小谷焼と呼ばれ、窯跡も、失敗作を捨てた場所「物原」もあります。近くの川あたりに、ひょっとしたら、ここの窯由来の陶片があるかもしれませんが、これはよくわかりません。

※2
 鞆の沖で沈没した、坂本竜馬の海援隊の船「いろは丸」の遺物が海底調査で引き揚げられています。昔から商品輸送のための幹線道路のようだった瀬戸内海ですから、船の数も多く、海難事故はけっこうあったそうです。海底には沈んでいる沈没船の積荷もあるかもしれません。重たい陶磁器が海底から打ち寄せるには穏か過ぎる海ではないかと思いますが、漂着する可能性がまったく無いわけではなさそうです。

※3
 広島では、干潟で一度見かけた陶片が、拾わなければ2ヶ月でも3ヶ月でも、そのままほぼ同じ場所にあることは珍しくありません。そんな海岸ではゴミ捨て場も存在できるでしょうけど、これが太平洋や日本海側だとどうなのか。海が荒れたら、何メートルもモノが移動しそうな場所では、そもそも一定の場所に捨てるということができるのかどうか。県外の海岸にも、どうやら生活ゴミ系の堆積を思わせる陶片海岸はあるようですが、日本全体ではどうなのか、ちょっと疑問に思っています。
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by 10henkutsu | 2007-04-26 08:50 | ★海岸&川の陶片とは何か①
2007年 04月 25日

海岸と川の陶片とは何か②

干潟の貝塚
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                           似島・長浜海岸
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                       陶片海岸から出たガラス製品

 陶片海岸には、100年も200年も、場所によってはそれ以上の長い間、周辺の集落から出る生活ゴミが堆積しています。割れた茶碗やお皿、丼、湯呑。土瓶の蓋や注ぎ口のような陶製品だけでなく、コーラやラムネの瓶、化粧品容器に薬壜、インク瓶といったガラス製品、家を取り壊した時にでも出たのか、小さな碍子にタイルにレンガに瓦、漁に使う沈子まで、あらゆる昔の不燃物が捨てられ堆積していますから、私は縄文遺跡のまねをして、干潟の貝塚と呼んでいます。

 干潟の貝塚は、人里離れた美しい海岸ではなく、集落近くの、ゴミゴミした生活排水の流れ込むような場所に多いので、人の目には汚らしく、誰にも惜しまれずに簡単に埋め立てられてしまいます。私が拾い始めた時には、既に良さそうな場所の大部分は埋められていました。今広島で残っているのは、観光地や、島や、開発から取り残された不便な場所、そして河口です。そんな場所で貝塚を見つけた時は、盗掘された大ピラミッド(埋め立てられた都市部の干潟)の代わりに、ツタンカーメン王の墓を見つけたような気がします。(^^ゞ

 陶片海岸は、泥の中に茶碗やガラス片が練り固められた、皆同じような場所に見えますが、よく見るとそれぞれ出てくるものが違っていて、古い歴史のある宮島や鞆からは、中国陶磁や17世紀の染付などが出ますし、軍の施設のあった似島からは、軍隊関係の陶片も出ます。港の荷を川船で輸送していた八幡川からは、やはりその時代のものが多く出ます。古いものはあまり出ず、銅版転写や昭和の陶片ばかり山ほど出る場所もあります。江戸~昭和までの陶片がバランス良く混じる場所もあります。ここは古い歴史があるからと期待して行く場合もあれば、出てきた陶片に驚いて、そこの歴史を知る場合もありました。

 干潟には、その土地固有の生物がいるように、その土地の陶片が眠っています。固有の歴史が眠っています。たとえ側にはビルが建っていようと、公園になっていようと、干潟の泥や砂は保存されていることがあります。たとえ生活排水でドブのように汚くても、土は意外に生き続けていて、地域の歴史をそっと抱きかかえて眠っています。汚水やゴミで汚れた場所は人の目に見えなくなり、忘れられて、そんな場所では過去の時間が息づいています。反対に安易に埋立などしてしまえば、見かけは美しくて、歴史的景観が保存されていようと、その土地固有の土は死に、後から再生することなど不可能です。干潟の泥に抱かれた歴史まで甦ることはないからです。
                                           
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                 鎌倉・材木座&由比ガ浜海岸の青磁片(頂き物)

 陶片を求めて海岸を歩いていると、一つ一つの海岸の歴史と将来が気になってくる一方で、広島の海岸全体について考えるようになりました。100年以上も経過した古い陶片や、戦争など近い時代の歴史や生活を記録した陶片がどれほど眠っているか見当もつかないからです。そして、日本中の海岸ではどうなのだろうと思うようになりました。最近、各地で陶片を拾う人が増え、ネットのおかげで各地で収集している人と交流することもでき、自分では拾うことのできない遠い地域の海岸の陶片を頂いたり、写真で見せて頂いたりする機会が増えました。鎌倉の材木座海岸から無数に出る、宋や南宋あたりの中国青磁や古瀬戸の破片に息を飲み、一方、他の地域の広島の海岸と同じような陶片構成を見て、江戸時代の商品流通の発達を実感することもできました。同時に広島ではなかなか見つからない、瀬戸のくらわんかを幾つも見て、地域差を感じたりしました。
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                         淡路島の陶片(頂き物)
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                          瀬戸のくらわんか
                       (頂き物&葉山で拾ったもの)

 日本各地の海岸や川から拾われた陶片をたくさん見てみたいと思います。もちろん広島で私が拾うことのできる陶片でさえ、一つ一つ素性を調べていればきりがないくらいです。実は時間が足らない、とても追いつかないです。それでも日本中の海岸から陶片がぞくぞく拾われて出てくるのを夢見てしまいます。なぜなら、海岸や川には陶片があり、日本中の海岸に、巨大な宝石の鉱脈のように、陶片がぎっしりと詰まっているはずだからです。

私はビーチコーミングをしていて陶片に出会いました。私の陶片は漂着物育ちなんです。しかし、実は陶片は海や川だけでなく、山にも、畑にも、町中の駐車場にもあるようです。窯跡のように、一部は大切な遺跡ですが、ほとんどは誰にも顧みられない、人の手を離れた陶片たちで、いわば野生の陶片とでも言うべき存在です。陶片は果てしない広がりを持っていそうです。
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by 10henkutsu | 2007-04-25 18:49 | ★海岸&川の陶片とは何か②
2007年 04月 03日

海岸と川の陶片の未来

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                         17~18世紀の染付
                         (宮島、鞆、八幡川)

  海岸や川の陶片の大部分は、誰にも顧みられることなく、海岸に眠り続けていると思われます。場所によっては、海底の沈没船からの漂着がありながら、気づかれないまま、美しい伊万里や古い中国陶磁などが波に洗われ、やがて割れて小さな破片となって砂の中に埋もれているかもしれません。もし海岸陶片への関心が高まるなら、それらもいずれ発見されることでしょう。ひょっとしたら、素晴らしい水中遺跡の発見に繋がるかもしれません。

 昔の生活ゴミ陶片の方は、日本中の海岸や川に無数にあると思われます。広島で拾った陶片は、近代のものも含めて4500点を超えました。(2007年6月現在)私が歩いた僅かな場所だけでもそのくらいあるのですから、日本全体で考えると、いったいどれくらいの数になるのでしょう。きっと大きな窯跡や、消費地遺跡から出てきた以上の量の古い陶片が、日本中の海岸や川に埋蔵されているかもしれません。それらは今、ゴミとしか思われておらず、集落近くの汚い場所に多いため、拾わなければ埋め立てられて、どんどん消えていきます。

 しかも、一つ一つの海岸に埋蔵されている量は、一部の例外的な場所を除き、ごく僅かでしょうし、これらのすべてを専門の研究機関が調査するのは無理ではないかと思います。また、波で削られたり、干潟を掘り返されたり、雨による増水で流されたりして現れる海岸や川の陶片は、窯跡などの遺跡から出た遺物のように、捨てられた時の状況がそのまま残ってはいないため、そのままでは一番良い資料とはなりにくく、拾っても発掘調査の邪魔になることもなさそうです。

 これらの陶片は五十年、百年、あるいは数百年もたつ古いものなのにたくさんありますし、おもしろくて、珍しくて、美しいのに、身近な場所で簡単に見つかります。もともと食器ですから、持ち帰っても、洗えば汚くて困ることもありません。拾って陶片の時代や用途を調べ、そこから見えてくる世界を楽しむ。あるいは摩滅した陶片を集めて、人間と自然の共同作品を楽しむ。陶片を集めてアクセサリーを作ったり、美しい作品に仕上げるetc・・・海岸や川の陶片集めは、アウトドアの遊びとして、多くの人が楽しむことができそうです。また、ほんの少しの知識で時代の見分けられる陶片も多いので、周りに教えてあげる大人がいたり、子どものための良い本でもできれば、昆虫採集や、貝殻集めや、かつての切手収集などのように、人生最初のコレクションになるかもしれません。陶片をじっと見つめ、江戸や明治の器を見分けることは、正解の用意してある学校の勉強よりも考える力をつけてくれるかもしれません。

 一度に大量に出る場所は少ないですので、集めるのに手間はかかりますが、一つ一つの陶片は、作られた時代や、使われた地域の生活を伝えてきます。それらを拾い集めることで、よりきめの細かい庶民の生活史が判ってくるかもしれません。海岸と川の陶片への関心が高まり、数十万、あるいは100万・・・それ以上の数の陶片が拾われた時、陶片たちはきっと何かを語りかけてくるに違いないと思っています。
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by 10henkutsu | 2007-04-03 09:48 | ★海岸&川の陶片の未来