陶片窟-ブログ版TOUHEN-KUTSU

touhenk.exblog.jp
ブログトップ

タグ:色絵 ( 2 ) タグの人気記事


2007年 04月 26日

陶片図鑑 6 (18世紀~幕末の陶片③)

(18世紀半ば以降のお洒落で楽しい器たち)
f0133749_2148036.jpg
                      江戸時代のお洒落な陶片たち
                 (18~19世紀、宮島、鞆、八幡川、似島、江田島) →大きな画像

 18世紀半ば~幕末頃の器は染付の模様も雑で、絵の線もベタッとした、くたっとした感じがします。でも染料の呉須をたっぷり使って、蝶や牡丹の花、鳥、コウモリ、・・・いろいろな模様が描かれています。金彩を塗った、ちょっと豪華な皿の破片も見つかりました。単純な小皿や碗だけでなく、染付の八角鉢のような凝った形のものも時々出てきます。少し前の時代なら余程のお金持ちでないと持てなかったような、凝ったデザインの器が、宮島や鞆のような豊かな土地を中心にたくさん出てきます。多くの人の目に触れ、手に取られ、たくさんの人生の中に、愛らしくて、楽しい食器たちが入っていった様子が、海岸や川の陶片からも見えてきます。現代に通じる大衆社会の到来?を思わせます。一方、江戸時代は徹底したリサイクル社会だったそうですが、陶片にも修理した跡のあるものが見つかります。割れたお皿や碗を焼継という方法でくっつけて、捨てずに使ったんですね。

(色絵皿)
f0133749_1842588.jpg
                      色絵小皿(似島、18~19世紀か) →大きな画像&裏

 伊万里の器と言えば、博物館や骨董市、アンティークの本で目立つのは色絵皿ですが、海岸で近代以前の色絵と判るものはなかなか拾えません。広島の場合、2007年6月現在、似島で拾った写真の小皿の他に、たぶん17世紀のものかと思える虫文の陶片と、雑な色絵付けのある小皿を宮島で拾っているだけです。染付と違って剥げやすい上絵付けですから、似島の陶片のように美しいままで出るのは余程運が良くないと難しいでしょうが、上絵の剥げた跡があるものや、色絵の部分が抜け落ちたように見える染付なども見つかっていません。破片の場合、欠けた部分に色絵があっても判りにくいでしょうし、もともと贅沢品ですから数そのものも少なかったのでしょうが、江戸時代の色絵がもっと出てくればいいなと思っています。

(化粧道具など)
f0133749_413687.jpg
                      紅皿・嗽碗(18世紀~幕末、宮島)
                      油壷(17~18世紀、宮島) →おおきな画像
f0133749_518298.jpg
                   貝殻の形をした紅皿(19世紀前半、宮島)
        
 海岸や川からは食器以外にもいろいろな生活道具が出てきますが、これらは化粧用具です。上の写真左側の、ままごとの道具のような小さな皿はすべて紅皿です。化粧用の紅を塗りつけて売られていてました。貝殻にそっくりな型押しタイプと、無地あるいは簡単な染付のある少し大きめのタイプを宮島で拾っています。右上の大きな破片は、おはぐろ用の嗽(うがい)碗だそうです。大振りの碗で、外側よりも主として内側に模様があるのが特徴らしいです。碗の中央の丸い模様は宝珠です。周りに描かれているのは宝珠と一緒に描かれることが多い竜ではないかと思います。嗽碗の下の小さな瓶は油壷で、鬢付油を入れていました。

f0133749_4371285.jpg
f0133749_6144262.jpg
              段重・蓋物(18世紀~幕末、宮島、鞆)と裏側の釉剥ぎ部分 →大きな画像     
  
 積み重ねる形の器で現在でも身近なものと言えば、漆器やプラスチック製の、おせち料理を盛る重箱くらいですが、江戸時代や、近代以降も少なくとも明治、大正頃までは、陶製の段重(重箱)が大活躍していたようです。蓋付きの容器とともに、宮島や鞆から時々出てきます。
 内側を見ると、縁の釉が剥いであり、碗に似たカーブのある蓋物の方はこの部分で碗と区別します。用途はいろいろだったらしいですが、小さめの段重(重箱)は白粉入れに使われることが多かったそうです。江戸時代の段重や蓋物の蓋には、なぜか復元図や一番下の写真のようなデザインのつまみが多いようです。
f0133749_2228749.jpg
                           段重の復元図
f0133749_22281753.jpg
                 蓋のつまみ部分(江戸時代に多いデザイン、宮島)

(文房具)
f0133749_9254635.jpg
                        水滴(18~19世紀、宮島)

 これは書道に使う水滴です。海岸で出てくる江戸陶片は圧倒的に飯茶碗や小皿など日常食器が多く、ついですり鉢、甕、鉢、瓶、灯明具など、台所や暮らしの道具たちです。骨董市では定番の水滴は、海岸では滅多に出てきません。数だって食器のようにたくさんは必要ないですし、やはり幾らか贅沢品なのでしょう。江戸時代のものは宮島と八幡川から4個出ています。それ以外に江戸モノか近代モノか迷っているものを、宮島と鞆で2~3個拾っています。近代以降の水滴は底にたっぷりと釉が掛かっているものが多いのですが、江戸時代のものは、底の施釉はないのが普通のようです。共通した雰囲気がありますので、一度拾うと、かなり小さいものでも見分けがつくようになりました。
[PR]

by 10henkutsu | 2007-04-26 09:36 | ◇18世紀~幕末の陶片③
2007年 04月 26日

陶片図鑑 8 (明治~昭和の陶片①)

(合成染料の手描きの器)
f0133749_16544225.jpg
                           手描き染付皿・碗 →大きな画像
                 (明治時代、宮島、似島、呉市・吉浦、上鎌苅島)
f0133749_1659284.jpg
                      蛇の目釉剥ぎのある近代染付皿
                         (能美島・中町、宮島)

 鮮やかな合成染料を使って、泥臭く、野太く、元気よく手描きされた器たちです。幕末の線描きタイプのデザインをそのまま引き継いだような描き方が目立ちます。幕末の海浜模様の頑丈な小皿も、染料を合成染料(ベロ藍)に変えて、引き続き作られています。幕末から続くデザインも多いこれらの多くは明治のものだろうと思いますが、私には後の時代と区別がつきにくいものもあります。また、これらの中には、稀に近代のものでありながら、窯での重ね焼きの跡が残っているものもあります。

(近代の手描き色絵皿・碗)
f0133749_1765698.jpg
                        近代の手描き色絵皿・碗 →大きな画像&裏側
                         (似島、宮島、鞆など)
f0133749_1793723.jpg
                          近代の手描き色絵皿
                    (宮島、大崎下島・大長、倉橋・鹿老渡)

 海岸で目だって華やかな陶片と言えば、近代の手描き色絵皿や碗です。後のカラー印刷や洋風の絵付けではなく、江戸時代の色絵をそのまま引き継いだような手描きの器たちは、ひょっとしたら江戸モノではと迷うものや、比較的古そうなものから、昭和かなと思うものまで、時代の幅は広いです。このグループは定義も曖昧ですし、かなり情緒的な分類かなと思うのですが、「美しい色絵だけど近代モノだなあ」と思いながら拾う陶片が確かに存在しますので、海岸での感覚そのままにグループとして取り上げてみました。

(印判・型紙摺りの器)
f0133749_17164173.jpg
                        型紙摺りタイプの印判食器 →大きな画像&裏側
                    (宮島、似島、八幡川、福山市・仙酔島)
f0133749_1720783.jpg
                       目跡の残る皿(能美島・中町)

 型紙摺り(摺絵)とは、細かく模様を切り抜いた型紙を器の上に当てて、その上から染料を刷り込んで絵付けするやり方です。そのため模様の輪郭線が点線状になっています。大部分は藍一色ですが、多色刷りや手描きとの併用、青磁釉の上から絵付けしたものなどもあります。あまり繊細な模様を付けることはできませんが、それがかえって素朴な魅力になっています。時には少々うるさいほどに詰め込まれた模様の中を探すと、武骨なウサギや、ミミズのような可愛い竜、花や国旗、船などが隠れていておもしろいです。

 これらの型紙摺りタイプは明治の初期に始まり、明治時代量産食器の主流となりましたが、やがて少し遅れて出てきた銅版転写の器に主流の座を奪われていきます。合成染料の青が、やや下品なほど鮮やかで、江戸時代の器と一目で見分けがつく元気な器たちです。明治維新は毎日のお茶碗と一緒に、田舎の家の中にまで入っていったのかもしれません。

 型紙摺りの器には、窯での重ね焼きの跡(目跡)の残っているものが多く、稀に蛇の目釉剥ぎのある場合もあります。いろいろな産地のものが入ってきているようで、瀬戸や美濃、有田だけでなく、広島の場合、地理的に近い愛媛県の砥部のものも、けっこう混じっていそうです。現在の東広島市入野には、明治30年代頃まで日常雑器の窯があり、型紙摺りタイプの食器を焼いていたそうですから、中には地元産のものもあるかもしれないと思います。

 型紙摺りタイプは主として明治時代に作られましたが、その後も完全になくなったわけではなく、統制番号入りの型紙摺りさえあるほどですので、この印刷方法で時代が正確にわかるわけではないようです。ただ型紙摺りの器は、銅版転写の器に比べて、蛇の目釉剥ぎや目跡など、古い量産技法が見られることが多く、やはり明治時代の可能性が高いというくらいに思ってよいのではないかと思います。

(美濃地方の型押しの小皿)
f0133749_17352375.jpg
                  型押四方小皿(明治時代、宮島、似島、八幡川)→ 大きな画像&裏
f0133749_17363771.jpg
                  染付印刻小皿(明治時代、宮島、八幡川、鞆) →大きな画像&裏

 美濃地方で作られた型押小皿、あるいは印刻の小皿は、ある程度古い陶片が出る場所なら、通っていれば確実に出てくるのではないかと思うほどです。よほど大量に作られたのでしょう。このタイプ、江戸時代もあるようですが、海岸で出てくるものの多くは明治のようです。型押四方小皿の方は、梅など、花の陽刻模様が多く、角皿の他に輪花皿もあります。印刻小皿は波間に馬や千鳥を配置した幻想的なものや、竜や唐獅子や牡丹の図、寿字などおめでたい図案がよく見られます。とても個性の強いデザインで、海岸や川では、指の先ほどの小さな破片になってもそれと判ります。家の食器棚にあったならアクが強すぎて嫌になるかもしれませんが、海岸ではその自己主張の強さがなんだかいとしくて、見つけたら必ず拾ってしまいます。海岸陶片を拾い歩いて、完品より破片の方が美しい器というものがあることを知りました。



(銅版転写の器)

f0133749_16174586.jpg
                           銅版転写の皿
           (明治~昭和戦前、似島、宮島、安芸津町・風早、能美島・中町など) →大きな画像

 近代陶片の花形は明治の型紙摺りと、この銅版転写の器でしょう。明治半ばくらいに、型紙摺りタイプに少し遅れて普及し、昭和戦前くらいまで作られ続けました。銅版画(エッチング)の技法を使って紙に模様を印刷し、その紙を器に当てて模様を写し取るため、模様は細かい線の集まりでできており、よく見るとお皿や茶碗の模様に、紙のズレや皺が残っていることが多いです。型紙摺りよりも細かい繊細な表現ができるため、動物、植物、幾何学模様、時代を反映したものなど、面白い図案のものが多く、海岸で最も楽しい陶片の一つです。現代人から見ると実に手間のかかったものですが、当時は大量生産食器の主流でした。大皿、小皿、茶碗、湯呑などの食器はもちろん、日常のあらゆる生活用品にいたるまで銅版転写で模様を付けられた陶製品が活躍していました。

f0133749_1619011.jpg
                         銅版転写の飯茶碗
                     (明治~昭和戦前、似島、宮島) →大きな画像

f0133749_1620051.jpg
                       銅版転写の湯呑、盃など
                 (明治~昭和戦前、似島、宮島、安芸津町・風早) →大きな画像

f0133749_16204510.jpg
                    銅版転写の大皿、鉢、徳利、段重、蓋物
                      (明治~戦前、似島、宮島など) →大きな画像

 大量に出てくる銅版転写の陶片ですが、細かい年代や産地は判りにくいです。それでも比較的初期のものではと思えるもの、大正ロマンを感じさせるもの、昭和の銅版と私が呼んでいるタイプがあり、将来、幾らかの分類が陶片窟でもできるかもしれません。また産地についても、広島の海岸や川から出た銅版転写皿の中に、有田や瀬戸や美濃で作られたのではないらしいと判ったものもあります。地理的にみても、愛媛県の砥部焼がかなり混じっているかもしれないです。今、とても興味を持っています。
[PR]

by 10henkutsu | 2007-04-26 09:21 | ◇明治~昭和の陶片①