陶片窟-ブログ版TOUHEN-KUTSU

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2007年 04月 26日

陶片図鑑 2 (中国陶磁など)

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                           中国陶磁(宮島) →おおきな画像

 広島の海岸からも、ごく僅かですが中国陶磁など、古い輸入陶磁の破片が拾えます。宮島からは南宋~元(12~14世紀)頃かと思える青磁の破片明あたりの染付或いはその可能性の高いもの福建省の窯らしいものなども出ていますし、中国陶磁の可能性があると言われた甕もあります。また、李朝か李朝写しの唐津だと言われたものも拾っています。

 宮島の中国陶磁の出方にはやや特徴があります。他の江戸時代の陶片が宮島の干潟のかなり広い範囲から出るのに対して、中国陶磁は比較的厳島神社に近い場所で見つかる傾向があります。拾った数そのものが多くはないため、偶然かもしれないのですが、それでも今まで拾ったものはすべて神社のまわりか、それに続く大鳥居のそばの干潟で拾っています。

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                    中国青磁(12~14世紀くらいか、鞆)

 中国陶磁は福山市鞆の埋立予定地の干潟からも拾っています。写真の青磁は外側に蓮弁の模様があり、見込みに「吉」の文字と花の模様のある手の込んだものです。鞆では、その他に中国ではないかと思うものがもう一つ出ています。埋立が回避されれば、これから幾つも出てくるのではないかと思います。

 今のところ私が歩いた広島の海岸や川で古い輸入陶磁が見つかったのはこの二つの場所だけです。しかし、陶片を追いかけて、広島の歴史に触れる機会が増えるにつれ、出てきても不思議ではない場所は他にもけっこうありそうに思えてきました。
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by 10henkutsu | 2007-04-26 10:06 | ◇中国陶磁
2007年 04月 26日

陶片図鑑 3 (17~18世紀の陶片)

一部の土器、須恵器、中国陶磁を除き、広島の海岸や川から出る最も古い陶片と言えば、この時代のものです。※1 16世紀末~17世紀初めの古唐津や、それに続く時代の肥前系陶器、17世紀半ば~18世紀前半の素朴に、或いは丁寧に作られた染付の器、青磁類です。美しい陶片が多いです。

※1 宮島で15世紀頃の古瀬戸片では?と思う破片を拾っていますが、よくわかりません。

(古唐津)
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                           古い唐津(宮島) →大きな画像

古い唐津の器※2 は高台内に兜巾と呼ばれる、円錐状の削り残しがあるものや、特に古いものは高台が低くて、高台脇と高台の区分がはっきりしないものが多いそうです。宮島でも滅多に出ませんから、迷いながら拾っています。天目茶碗タイプや、鉄釉の絵のあるものも見つかりました。
 17世紀のものには、窯で器を重ね焼きした時の痕である砂目跡が残っていることもあります。これは見たらすぐ判りますので、私も収集を始めて間もない頃から拾ってきました。これは宮島以外に、鞆の埋立予定地の干潟や倉橋の鹿老渡でも見つけています。

※2 見出しは一応「古唐津」としましたが、実はこの言葉を使うには躊躇があります。古唐津とは、唐津の草創期である桃山時代から江戸時代初期、慶長~元和(1596~1624年)頃に焼かれた唐津焼のことだそうですが、私がここに載せたものはもう少し時代の幅がありそうだからです。正確には、私が拾った唐津系の陶片の中で、比較的古いタイプと言ったほうがよさそうです。

(京焼風陶器)
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                           京焼風陶器と断面
                    (17世紀後半~18世紀前半、宮島)
         
 淡い黄土色で、高台がカミソリで削ったように鋭い薄手の器が時々宮島などから出てきます。他の古い唐津のザラザラとした器肌と違い、きめの細かい生地が特徴で、京焼風と呼ばれる肥前系の器だそうです。高台内に「柴」などの文字が彫ってある場合もあります。また、これによく似ていますが、土の色がもっとくすんでいるタイプや、蛇の目釉剥ぎのあるもの雰囲気は似ているけれども高台の作りが違うものなどはもっとたくさん出てきます。これらは概ね17世紀後半~18世紀前半のものだそうですが、どこまでが京焼風陶器なのか、私は拾いながらちょっと迷っています。
 脆いのか、底と縁が同時に出たことがありませんが、小皿と碗が殆どのようです。たまにちょっと変わった形のものも拾っていますが、京焼風と考えてよいのかどうか迷っています。本や資料館などで見る京焼風陶器はけっこう高級な感じですが、宮島や鞆で拾ったものは、むしろ素朴な雰囲気です。今のところ、これが出たのは宮島と鞆だけで、どの海岸からも出るわけではありませんから、後の「くらわんか茶碗」のように庶民の間に普及していたわけではなさそうですが、宮島では大量に出ています。当時から厳島神社への参詣者で賑やかだった場所ですので、もしかしたら食べ物屋などでも使われたのでしょうか。たくさん集めても今一つパッとしない、華やかさに欠ける陶片ですが、淡い色のこの器にご飯を盛ったり、野菜や小魚の煮付けなど乗せたりすると、美味しそうに見えたのではないかと思います。

(17~18世紀前半の肥前系陶器)

 肥前系陶器は、17世紀半ば~18世紀前半くらいのものになると、宮島で保存状態のかなり良いものが、たくさん出てくるようになります。鞆でも小さな破片を毎回のように拾っています。なかでも目立つのが銅緑釉や白い釉の掛かった小皿、そして刷毛目模様のついた碗や皿です。

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                          銅緑釉の小皿と裏側
                        (17~18世紀前半、宮島)
    
 銅緑釉には、青磁のような透明感はなく、時にはどぎついほど鮮やかな色をしています。銅緑釉の小皿には頑丈な高台を持った分厚いタイプと薄手のタイプがあるようです。分厚いタイプの中には高台内に削り残し(兜巾)があったりしますので、もしかしたら17世紀前半くらいのやや古いものかもしれません。蛇の目釉剥ぎのあるものが多いです。

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                     白い生地に白い釉が掛かった小皿
                        (17~18世紀、宮島) →大きな画像

 白い釉の小皿は、生地の白さが特徴です。小皿ばかり、幾つも拾っています。これも蛇の目釉剥ぎのあるものが多いです。くらわんか皿との区別が微妙で迷うことがあります。

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                         刷毛目タイプの碗・小皿
                        (17~18世紀前半、宮島) →大きな画像

 白化粧土の刷毛目がついた器には、土の違い、器の厚みなど、いろいろなタイプがあります。蛇の目釉剥ぎのあるものは少ない気がします。他の肥前系の陶器が高台周辺に土を見せているのに対し、この刷毛目タイプの碗には高台を前面施釉したものがけっこう多いです。そのため古いものとわからず、長い間収集対象からはずれ、たくさんあることに気がついてからも、半信半疑で拾っていました。碗や皿以外に、鉢や片口、 火入など、台所用品、生活用品も目立ちますが、これらは時代にもう少し幅があるようです。

(17世紀の染付と18世紀前半のちょっと高級な染付)

                   1640~1690年代くらいの染付の小皿
                         (宮島、八幡川、鞆) →大きな画像
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 私が拾った日本製の染付の中で、もっとも古い時代のものです。17世紀半ば~末くらいまで、初期伊万里と呼ばれる年代のすぐ後の時代くらいだろうと思います。高台径が小さくて、高台の畳み付きの部分を釉剥ぎしたものもあり、細かい砂の付着がある場合もあります。全体に素朴な感じです。拾ったものの大部分は宮島から出たものですが、鞆からも小さな破片が出ました。八幡川からは如意頭の連続模様のある陶片を拾っています。これもたぶんこの時代でよいのだろうと思います。

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                        17世紀後半の染付(宮島) ←針支えのある裏側
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                        17世紀後半の染付(宮島) ←おおきな画像と裏側

 私が拾った陶片の中に、絵付けが丁寧で、筆の線がきりっとした感じのする美しい染付があります。17世紀後半の丁寧に作られた染付です。野の花に流水らしい模様のある陶片は墨弾きの技法を使って濃淡をつけています。裏には針支えの跡があります。その下の輪になった唐草の皿は、葉の部分まで丁寧に輪郭を描いてから中を塗っています。宮島で拾ったこの2つは10センチ前後もある比較的大きな破片ですが、その他にも、この時代らしい、ごく小さな破片を幾つか拾っています。

 宮島や鞆などから、海岸にも輸出された時代の器たちが少しずつ見つかりますが、そのほとんどは簡単な絵付けのもので、アンティークの本にでも出てきそうな、古伊万里らしい古伊万里はほんとうにごく僅かです。それでも、この時代の華やかな陶磁器文化の片鱗が広島の海岸からも見つかることに感動しました。

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                           花唐草の小皿
                       (18世紀前半くらいか、宮島)←大きな画像

 可憐な花唐草は18世紀になってたくさん作られますが、17世紀末くらいにもあり、これはどちらかなと迷いました。小皿ですが、よく見ると皿の縁に小さな窪みがあり、花をかたどった輪花皿であることがわかります。裏は薄く青磁釉が掛かっているようで、花唐草も丁寧で呉須の色の発色も良い方で美しいです。見込みの部分に微かに呉須の色が残っていますので、18世紀に大流行した五弁花があったのではないかと想像しています。でも・・・これも17世紀末くらいには出始めるらしい。うーん・・・(^^ゞ

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                        江戸時代の型紙摺り小皿
                         (18世紀前半、宮島) →大きな画像と説明

 下の写真は型紙を使って絵付けした小皿です。江戸時代の型紙摺りなんですね。美濃地方でも江戸時代に陶器に型紙摺りで模様をつけたものが作られていますが、肥前系の染付にもあります。18世紀前半のもので、量産技法と言うより、装飾方法の一つだったらしいです。そんなわけで、近代のものとは違い、けっこう高級品です。このタイプは裏の手描きの唐草模様も繊細で美しいです。

(青磁と青磁染付)
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                    17~18世紀の青磁&青磁染付(宮島など)    

 ここの記事は17~18世紀半ばくらいの陶片が中心ですが、青磁だけはもう少し後の時代のものも一緒に取り上げています。けっこう古いものが出てきますが、17~18世紀、或いは江戸時代くらいしか私に区別できないものも多いからです。
 17世紀後半、佐賀県の有田や長崎県の波佐見では、模様を彫ったり、一部に染付の模様を入れた美しい青磁皿が作られました。宮島や鞆からもこの時代の青磁片が出てきています。また、細かい年代の判らない香炉類、18世紀頃らしい仏花瓶も拾っています。18世紀後半になると、青磁染付碗が宮島では大量に出てくるようになり、他の海岸や川でもけっこう見つかりますが、これは18世紀~幕末の陶片①で取り上げました。
 江戸時代の青磁の多くは派手な色はしていません。灰色やベージュに近い色のものも多いです。でもこうやって集めてみると、大地から生まれた緑色、青色なんです。
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by 10henkutsu | 2007-04-26 09:58 | ◇17~18世紀の陶片
2007年 04月 26日

陶片図鑑 5 (18世紀~幕末の陶片②)

 江戸時代も後期になると、雑器でも比較的薄くて器肌の白い器も多くなります。19世紀~幕末独特の形や模様もあり、それと判りますが、江戸時代か明治のものか、ひょっとしてもっと後のものか判らず悩むこともあります。感覚的に現代のものに近い姿をした食器が多くなるのです。数の上では18世紀のくらわんかタイプよりたくさん出てきますし、よりたくさんの海岸で見つかりますが、古そうな雰囲気がないものも多く、慣れないうちは近代ものと区別がつきにくい場合もあります。ごく身近な海岸の、現代の陶片やプラスチックゴミの中で、なんの違和感も感じさせずに、たった一つだけ混じっていたりするのが江戸後期~幕末の陶片です。

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                              広東碗
                  (18世紀末~19世紀前半、宮島、八幡川)

 名前こそ広東碗ですが日本製の飯茶碗です。18世紀末から19世紀前半に大流行しました。大きなしっかりした高台を持ち、外に向かって広がった形をしています。19世紀の他の碗同様、見込みの部分には、いたずら書きのような、雑なワンポイント模様が描かれている場合が多いです。蓋付きも多かったそうですが、もちろん海岸からは一緒に出てきたりはしません。(^^ゞ 広東碗は私の歩いたあらゆる海岸や川から、頑丈な底の部分がたくさん出ています。 
       
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                    線描きタイプ(江戸後期~幕末、宮島)

 18世紀末以降、線描きのみの模様が流行します。清朝の影響だそうです。宮島以外の場所でもたくさん見つかっています。雑な描き方をしたものも多いのですが、丁寧に描かれたものは繊細で美しく、江戸陶片とはいえ、洋食の器にもなりそうな雰囲気のものもあります。大皿も作られ、宮島や鞆で出ています。線描きタイプは明治になっても合成染料を使って作られています。

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                  海浜風景の皿(幕末~明治、似島、宮島、鞆) →大きな画像&裏

 19世紀になると、島(山)と帆掛け舟、網代、東屋、松の木などを配した海浜模様の小皿がたくさん作られます。ちょっと深めの皿で蛇の目凹型高台の、頑丈なタイプが多いようです。広島の海岸や川からもよく出てきます。私の目には、これらが昔の広島湾の風景に見えてしまいます。遠くの島(山)は現在の広島港から見た似島というわけです。もしかしたら、これを買った人達の、それぞれの故郷の風景に似ることで愛された器なのかもしれません。海浜模様皿は激動の明治維新を越え、明治になっても合成染料を使ってたくさん作られたようです。

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                           菊花型打ち小皿
                      (幕末~明治か、宮島、鞆、似島) →大きな画像  

 これもたくさん出てきます。ちょっとお洒落で清楚な皿なので人気があったのでしょう。目立たずにそっと料理を引き立たせてくれそうですが、そのくせこの小皿、どんなに小さな破片になっても、波で削られて摩滅していてもそれとわかります。おとなしそうですが、意外と個性があるんです。この形の白磁皿はかなり古いものもあるようですが、近代陶片が中心の海岸からもよく出てきますので、拾ったものの多くは幕末~明治くらいなのではと思っています。私には今のところ、それくらいしか判りませんので、明治以降の近代モノも混じっているかもしれませんが、このコーナーに入れました。海浜風景皿と同じように、ごく小さなサイズのものを除いて、底は蛇の目凹型高台です。ほとんどが白磁皿ですが、たまに青磁釉の掛かったものを拾っています。

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                       瀬戸・美濃系の茶碗・湯呑・盃→大きな画像&裏
                    (江戸後期~幕末、宮島、八幡川、似島)

 東日本の海岸ではけっこう珍しくないらしい中世~18世紀頃の瀬戸・美濃地方の器は、広島ではほとんど拾っていませんが、19世紀になると、広島の海岸や川からも、それまでの肥前系の陶片に混じって、瀬戸・美濃系のものが出るようになります。湯呑など小さな器が多く、いかにも手軽な雑器という感じです。光をよく通す白い器肌に、たっぷり呉須を含んだ筆で模様が描かれていて、これが現代の器でないと知った時は驚きでした。模様は唐草や霊芝文、源氏香図、福の字などの他、似ているので私が勝手に染色体模様と呼んでいる湯呑や盃もあります。

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                     馬の目皿(19世紀~幕末頃、宮島)
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                           馬の目皿(裏)

 骨董市などでお馴染みの瀬戸の馬の目皿も、宮島と八幡川からほんの少し出ています。断面や高台あたりの土は、ざっくりときめの荒い感じです。
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                           馬の目皿復元図
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by 10henkutsu | 2007-04-26 09:41 | ◇18世紀~幕末の陶片②
2007年 04月 26日

陶片図鑑 7 (暮らしの道具)

灯明具やすり鉢、甕など、古いことは確かだけれども、細かい時代が私にはわからないものをまとめてみました。

(灯明具)
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                             灯明具
                     (江戸時代~ 宮島、江田島・切串) →大きな画像

 電灯やランプが普及する以前の明かりの道具も宮島や鞆、江田島・切串から出てきます。長時間使えるように改良したひょうそく、皿の中に灯芯を立てる部分がついたタンコロ。小さな素焼きの、或いは鉄釉などを掛けた灯明皿も、宮島からたくさん拾っています。時代は当然、江戸時代のものが多いでしょうが、近代になってもしばらくは、この手の灯明具も使われていただろうと思います。

(すり鉢)
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                            古いすり鉢
                     (?~江戸時代、宮島、八幡川、鞆) →おおきな画像
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                     古いすり鉢の櫛目部分(すべて宮島)

 詳しい時代も産地もよくわからないままで拾ってきました。現代のすり鉢は櫛目が隙間なく入っていますが、古いものほど櫛目が少ないそうです。私の拾ったものも、江戸時代のものが多いとは思いますが、中にはもっと古い時代のものも混じっていそうです。大部分宮島から出たものですが、八幡川からも少し拾っています。食器類の産地が、江戸後期になるまで肥前地域に集中しているのに対し、すり鉢は土も作り方も様々で、備前や唐津、たぶん関西地域のものなど、いろいろな時代の、さまざまの産地のものが入ってきているのではないかと思います。

(甕、壷)
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                         甕・壷(時代不明、宮島) →大きな画像

 持ち帰るのが憂鬱になりそうな大きな破片から、手に乗るほどの可愛らしいサイズまで、たくさん出てくる甕や壷の類いですが、今のところ拾うだけで、ほとんど分類ができないでいます。しかし、中には大きな窯印のついた、備前の大甕らしい破片も出ていて、これはかなり古いだろうと思っています。

(土瓶)
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                       関西系の土瓶の蓋(幕末頃、宮島)

 広島城の堀跡発掘調査報告書の中に、まったく同じタイプの土瓶の蓋が出ていて、そこに関西系とありました。私が広島で拾い始めた頃、たて続けに幾つかこのタイプを見たのですが、その時は古いものとは思わず、気が付いてから慌てて拾った陶片がこれです。以後、なぜかごく小さな破片を除いて、このタイプに出会いません。それと本体はどんなものなのか、知りたいと思っています。
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by 10henkutsu | 2007-04-26 09:33 | ◇暮らしの道具
2007年 04月 26日

陶片図鑑 10 (明治~昭和の陶片③)

(洋食器)

 近代になると江戸時代から引き続いた飯茶碗や小皿などに加えて、洋風の食器類が普及していきます。その中には高級ブランドものや、ウイロー・パターンと呼ばれる東洋趣味の洋食器もあり、海岸からも時々出てきます。
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                   オールド・ノリタケ、コーヒーカップの受け皿
                        (大正~昭和戦前、似島)

 海岸で拾える戦前の高級ブランド洋食器で一番多いのはノリタケ、日本陶器の器です。しかし美しい器も上絵付けが丁寧であっただけ、海岸では剥げて白っぽくなり、ノリタケの銘がなければ、かつての姿など想像できない状態で見つかります。その中で写真の3点は保存状態も良く、珍しく模様もそのまま残っていました。左端の皿は「オールドノリタケ コレクターズガイド」(木村一彦&葵航太郎著、トンボ出版)により、右端は模様の意匠登録番号から、コーヒーカップの受け皿と判りました。中央の小皿もたぶん受け皿だろうと思います。
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                     ノリタケの裏印の一つ、ヤジロベー印

 オールド・ノリタケの裏印はたくさんありますが、ヤジロベーの形をした裏印は代表的なものの一つです。モダンで美しいコーヒーカップなどのイメージが強いノリタケですが、国民食器の小皿も作っていたらしく、当時の状況が偲ばれます。広島の海岸では、東洋陶器の器も少し拾っています。

(台所の道具)

 近代の陶製台所道具では、すり鉢、急須や土瓶、おろし金などが目立ちますが、すり鉢はつい古いものばかり拾ってしまい、急須や土瓶は私に判断のつかないものも多く、陶製おろし金以外はまだあまり集めていません。

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                    陶製おろし金(戦前、宮島、八幡川、鞆) →大きな画像&裏

 陶製のおろし金は、意外にたくさん出てきます。白磁のタイプは昭和の金属代用品で、戦時中の統制番号入りも拾っています。茶色のタイプは時代に幅があるかもしれず、中には明治、大正のものが混じっているかもしれません。大部分は金属製のおろし金にあるような角型ですが、たまに皿の形をしたものもあり、これは古瀬戸のおろし皿を連想させます。

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                     似島に多い謎の蓋(たぶん近代か)

 とにかく似島でたくさん出てきます。最近まで、あまり拾ってこなかったせいかもしれませんが、いつ行っても、必ず大きな破片や小さな破片が転がっています。それでなくても生物の豊かな似島の海岸で、陶器の柔らかい器肌は表面のツルツルした磁器よりも生物達にとって心地よいのか、うんざりするほど海藻だの、ヤッコカンザシの類いだの、ありとあらゆる魑魅魍魎ども?(^^ゞ がくっついていることも多く、図体が大きい割りに、そう美しいとも思えず、長い間なんとなく無視してしまっていました。なんだか嫌いという陶片って実はあるんですよね。(ーー;) でも、あまりに繰り返し、繰り返し、目の前に出てきますので、これは拾わないわけにはいかないなあと思い、持ち帰るようになりました。おまけに最近、鎌倉の材木座海岸に漂着した古瀬戸などを身近に手にする機会が増えてから、「あっ!」と思ってしまいました。これ、中世の瀬戸の施釉陶器の遠い成れの果てのような雰囲気があります。似島でたくさん出ることからも、近代のものだろうと思いますが、ひょっとしたら瀬戸産かしら?少し興味が湧いてきました。これも、こんなにたくさん蓋を見かけるのに、本体がどんなものか判らないでいます。何しろセットで出てきてはくれませんから。きっと気付かないだけで、本体も出ているはずでしょうけどね。なぜか似島で特に目立ちますが、宮島、鞆、八幡川あたりでも拾っています。

(碍子、タイル、便器など)
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                   碍子、タイル、コンセント、ローゼット、便器 →大きな画像&裏  
           (明治~昭和、ただし戸車の時代は不明、似島、鞆、江田島、畑賀川)

 古い家を取り壊した時に出たものでしょうか。タイルや便器なども出てきます。写真左端のタイルは銅版転写で繊細な模様が付けられています。裏がザラザラの分厚い陶器でできたタイルで、明治~大正頃の瀬戸で作られたもの。写真右端の染付は便器です。大便器の〇〇隠しの部分ですね。家族から最もヒンシュクを買ったコレクションですが、便器には可憐な野の草や牡丹の花が描かれていて美しいです。昔の人は風流なものです。

 海岸や川では碍子もたくさん見つかります。碍子とは送電線などに使われる電気絶縁用の磁器製品で、電柱を見上げると、今でもたくさん使われています。家の中でも小さな碍子が使われていました。写真のタイルの下にある、小さなくびれた筒状のタイプですが、これは数も多かったのでしょう、出てくる、出てくる、出てくる、私も一々拾ってはいないのですが、それでもサンプルとして少し持ち帰っています。現代の家の中で陶磁器製品はずいぶん少なくなりましたが、コンセント類も、電灯の天井と繋がっている部分(ローゼット)も、かつては陶製でした。

 写真中央のドーナツ状のものは戸車です。戸が滑らかに動くよう、埋め込まれるもので、陶製のものが時々見つかります。この陶製戸車、窯道具として器を載せて焼くのにも使われたそうで、有田の川へ行けば、山のように見つかりますが、広島で出てきたものは、たぶん本来の用途で使われたものだろうと思います。

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                          沈子(昭和か、鞆)

 海岸では漁に使う陶製の沈子もよく出てきます。写真は鞆でたくさん見つかる小さな沈子で、釉薬の掛かったものもたまにありますが、ほとんどは素焼きです。これよりも大きな釉薬の掛かった沈子も、いろいろな形や大きさで出てきます。
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by 10henkutsu | 2007-04-26 09:14 | ◇明治~昭和の陶片③
2007年 04月 26日

陶片図鑑 11 (昭和の陶片)

 昭和の陶片、それは海岸や川で一番多い陶片で、古い陶片の周りに散らばっている新しい陶片のことです。初めは私も見向きもしませんでした。ひっくり返して、なんだコレか、また出てきた・・・そんなことを繰り返しているうちに、たくさん出てくるデザインは覚えてしまいました。昭和の器など、本にもあまり出てきませんから、ほとんどが干潟の知識でした。そしていつか、覚えるほど出てくるデザインに興味を持ちました。昭和の陶片を拾う基準は「繰り返したくさん出てくるもの」です。ある時期大流行した陶片は、その時代がカチンと固まって割れた破片のような気がします。珍しくない、山ほどあるものは、時代の空気の化石なんです。
 また、昭和の陶片にはもう一つの顔があります。戦争に関わるものです。戦時中の統制番号入り陶器や、防衛食容器など金属の不足を補う代用品などです。これらは海岸でも目立ちますので、早くから私は拾っていましたが、集めてみると、この時代の特異さがよくわかります。そして広島には忘れてはならない場所があります。それは毒ガス工場のあった大久野島で、ここの海岸には毒ガス工場に関連した陶片が無数に転がっていました。

(ゴム印の器)
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                          ゴム印タイプの器
                     (似島、宮島、鞆、江田島・切串など) →大きな画像

 昭和の陶片など無数にあって、日本中のお店の商品を数えるようなものでは・・・そう思われそうです。事実そうですけど、でも、そんな昭和の陶片だって、大流行したもの、時代の傾向などは追うことができそうです。長い間、銅版転写での絵付けが量産食器の主流でしたが、昭和になるともっと効率の良い印刷方法が増えます。そのなかで目立つのがゴム印です。柔らかい素材でできた(ゴム印というからにはゴム製?)ハンコ状のものに染料を付けて、器にペタペタ押して絵付けしたものです。これは今でもレトロなデザインの食器などに、けっこう使われていますが、ゴム印が量産食器の花形だったのが昭和戦前です。ゴム印は、銅版転写の繊細な線と違って、ベタッとした、ちょっと滲んだような鈍い線が特徴です。まさにスタンプを押したという感じです。それでも動物や花の絵は可愛いし、江戸時代に流行した五弁花が再び使われたり復古調のデザインも面白いです。戦前の、幻の東京五輪のデザインなど、時代を反映したものもあります。病院の名前の入った小皿など、日常のあらゆる場所で、ゴム印で模様や文字を印刷した器が活躍していました。

(吹き墨の器)
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                       吹き墨の富士山茶碗・皿など →大きな画像&裏
                      (似島、海田町・瀬野川河口など)
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                 骨董市で買った統制番号入りの吹き墨富士山茶碗

 最近の茶碗のカケラに過ぎないと思っていた時期もありましたが、たくさん出てくるので興味を持つようになりました。じっくり眺めると、それなりに美しい器だと思います。吹き墨タイプには、花や鳥などいろいろな柄がありますけど、富士山柄はとても多く、集めてみるとおもしろいです。この手の吹き墨タイプがすべて昭和かどうか判りませんが、戦時中の統制番号入りも多く、昭和戦前に大流行したデザインのようです。

(盃)
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                            盃いろいろ
              (おもに昭和、似島、宮島、鞆、八幡川、海田町・畑賀川など) →大きな画像

 これも繰り返し海岸で見かけるうちに、ついに興味を持って拾うようになりました。とにかくよく出てきます。なかでも薄いブルーの地に桜の花などの浮き彫り模様を散らしたタイプ、謡曲高砂「四海波」の一節と熊手と箒を染付で描いたタイプ、桜の花を吹き墨で散らしたタイプなど、よほど大量に出回ったことがわかります。
 骨董市では、これらの盃は兵役を無事終えた除隊記念に関係者に配ったもの※1 がよく出ていて、盃の内側には日の丸やヘルメット、桜花などが華やかに描かれ、高台部分には贈り主の名前入りも多いですが、海岸や川でも、よく光に透かして見ると、華やかな、あるいは時局を反映した上絵付けが剥げた跡が見つかることがありますし、骨董市で人気のあるらしいヘルメット型の盃も出ています。しかし最初から無地だったらしい場合も多く、ごく普通の日常の盃としても大量に消費されたことがわかります。また、銅版転写などの染付で「千福」などお酒の名前が描かれたものも多く、メガネのマーク入りの肝油猪口も拾っています。これらは販促品として配られたものでしょう。まとめて昭和の項に分類しましたが、小さな四角な高台を持つものなど、大正時代からあったようですので、もう少し古い物も混じっているかもしれません。

※1 
兵隊盃とも言うそうです。兵隊盃に限らず、落成記念とか、小学校の〇十周年記念とか、記念盃は戦前、あらゆる場面で作られたようです。

(統制陶器)
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                     統制番号「肥58」入り飯茶碗(似島)
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                      英文字入り「岐732」瓶(似島)
     
 太平洋戦争中、昭和16~20年に作られた陶磁器には、ごく一部の例外※2 を除いて、岐、瀬、有、肥のような産地の頭文字と数字(統制番号)が入っています。武骨で実用的なものが多く、やはり金彩などを使った贅沢な器は少ないようですが、たまに意外とお洒落なデザインや、華やかな赤絵のものも見つかり、時代の制約の中で精一杯良いモノを作ろうとした人達の心が伝わってくるような気がします。アルファベットの入ったものもあって驚きましたが、調べてみると、敵性語追放が極端になったのは昭和17年末以降のようでした。戦局の悪化につれて、追い詰められ、だんだんゆとりが無くなっていったようです。わずか3~4年の短い期間作られた統制番号入りの器たちですが、集めてみると前後の時代と繋がりながら、この時代の持つ雰囲気もあり、太平洋戦争の小さな記録なのだと思うようになりました。また、これらの陶片たちは、いわば産地と製作年代の名札付きなので、統制番号の入っていない同じようなタイプの陶片を、近い時代のものだと判断することもでき、昭和の陶片を知るうえで大切な資料となりそうです。海岸や川にも多く、最近は広島以外の各地の海岸からもたくさん拾われつつあるようです。

統制陶器ミニ図鑑 (工事中ですが、少し載せています)

※2
一部の高級食器を作っていた窯では、伝統技術の保存を目的に、統制番号をつけないものの生産が許されていました。

(戦時中の代用品)
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                          陶製の化粧品容器
                    (陶製、ガラス製、ともに江田島・切串)

 戦時中、軍需資源の確保を目的に、金属製品など日常のいろいろな道具が陶器で作られました。「代用品」と言われています。その中には、おろし金や、生け花に使う剣山などという、細かい日常の金属製品もあれば、本来ガラス製だった化粧品容器や薬の容器もありました。

(国民食器)
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                            国民食器
                    (似島、宮島、大久野島、江田島・切串)
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                     統制番号「岐454」入り湯呑(宮島)

 二本の緑色の線を縁に付けただけの白いシンプルな食器が、どの海岸や川からもゾロゾロ出てきます。国民食器とか工場食器とか呼ばれるもので、その名のとおり、工場の食堂などでも大量に使われました。戦前、毒ガス工場のあった大久野島の海岸からも大きな破片が出ています。大部分は緑の線のみですが、ときどき国鉄企業のマークの入ったものも見つかります。統制番号入りも多く、戦時中のイメージがあったのですが、統制番号の無いものもたくさんあり、それ以前、あるいは戦後になっても作られたようです。高台内に日陶製など製造元の名前や、MADE IN JAPANの文字入りもあります。器の種類は皿、小皿、丼、碗、湯呑などがほとんどですが、似島で瀬のマーク入りの角皿を拾っていて、これはとても珍しいそうです。

(緑の縦縞の器)
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                           緑の縦縞タイプ

 海岸で一つのデザインがあまりにたくさん出てくると異様な感じがすることがあります。江戸時代の雑器、くらわんか茶碗や皿はどれも似通っていますが、共通の雰囲気を持っていはいても実は豊かなバリエーションを持っています。明治の型紙摺りの器だって、鮮やかな藍色の洪水に目を奪われますが、よく見ると模様の種類の多さに感心します。銅版転写でびっしり描かれた小皿の模様には、世界的なデザインの流行、アールデコの影響があったり、大正時代のお洒落な雰囲気を持っていたりします。たくさん出てくる器には、時代の好みが繁栄されているのです。ところが国民食器と、この緑縦縞タイプは、ちょっと違います。デザイン自体は決して悪いわけではないのですが、効率と無駄の無さを優先していて、まるで「あしながおじさん」に出てくる孤児院のギンガムチェックのお揃いの服を思わせるものがあります。大量流通の背景に、時代の好みではなく、戦争と言う、時代の事情があるからでしょう。国民食器の方は各方面でいろいろ取り上げられていますが、この緑の縦縞タイプのことは、あまり触れられていません。国民食器と一緒に扱うのは私の思い込みが過ぎるだろうかと心配もありますが、一つのデザインで陶片窟のメインブログの中に項目を立てたくなるほど海岸や川から出てきますので、将来大きな修正の必要が出るかもしれないのを覚悟で取り上げてみました。

「鞆の陶片図鑑Ⅱ」の緑の縦縞タイプ  その1  その2  その3  

(防衛食容器)
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                          防衛食容器の破片
                         (似島、宮島、八幡川)
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                           防衛食容器
                        (骨董市で購入したもの)

 戦時中、金属製品の不足を補う代用品として、陶製の缶詰容器が作られました。それがこの防衛食容器です。非常食用として作られたそうです。真空状態にすることで、蓋と容器を密着させ、食べる時は釘で穴を開けて開封したそうです。特に似島の長浜海岸では、この容器の破片が多く、それは戦時中、長浜地区に軍の倉庫があり、物資の荷揚げ用桟橋が長浜海岸にあったことと関係しているのではと思っています。
「陶製の缶詰容器・防衛食」

(軍隊用食器・軍関係の文字入り容器)
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              陸軍の星のマーク入り食器・歩十一の文字入り容器(似島)
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                            (外側と内側)

 軍の施設のあった似島からは軍隊用食器も出てきました。星のマークは銅版転写で印刷してあり、右端は蓋、中央は内側に星があり、反った縁が微かに残っていますので、すとんと真っ直ぐ深くなった形の碗のようです。金属代用品のようです。歩十一とあるのは、たぶん広島に司令部があったという第五師団の歩兵第十一連隊のことではないかと思います。何の容器でしょう。ちなみに、今のところ広島の海岸や川から海軍の碇のマーク入り陶片は出ていません。

                                                        
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by 10henkutsu | 2007-04-26 09:11 | ◇昭和の陶片