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2007年 04月 26日

陶片図鑑 2 (中国陶磁など)

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                           中国陶磁(宮島) →おおきな画像

 広島の海岸からも、ごく僅かですが中国陶磁など、古い輸入陶磁の破片が拾えます。宮島からは南宋~元(12~14世紀)頃かと思える青磁の破片明あたりの染付或いはその可能性の高いもの福建省の窯らしいものなども出ていますし、中国陶磁の可能性があると言われた甕もあります。また、李朝か李朝写しの唐津だと言われたものも拾っています。

 宮島の中国陶磁の出方にはやや特徴があります。他の江戸時代の陶片が宮島の干潟のかなり広い範囲から出るのに対して、中国陶磁は比較的厳島神社に近い場所で見つかる傾向があります。拾った数そのものが多くはないため、偶然かもしれないのですが、それでも今まで拾ったものはすべて神社のまわりか、それに続く大鳥居のそばの干潟で拾っています。

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                    中国青磁(12~14世紀くらいか、鞆)

 中国陶磁は福山市鞆の埋立予定地の干潟からも拾っています。写真の青磁は外側に蓮弁の模様があり、見込みに「吉」の文字と花の模様のある手の込んだものです。鞆では、その他に中国ではないかと思うものがもう一つ出ています。埋立が回避されれば、これから幾つも出てくるのではないかと思います。

 今のところ私が歩いた広島の海岸や川で古い輸入陶磁が見つかったのはこの二つの場所だけです。しかし、陶片を追いかけて、広島の歴史に触れる機会が増えるにつれ、出てきても不思議ではない場所は他にもけっこうありそうに思えてきました。
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by 10henkutsu | 2007-04-26 10:06 | ◇中国陶磁
2007年 04月 26日

陶片図鑑 3 (17~18世紀の陶片)

一部の土器、須恵器、中国陶磁を除き、広島の海岸や川から出る最も古い陶片と言えば、この時代のものです。※1 16世紀末~17世紀初めの古唐津や、それに続く時代の肥前系陶器、17世紀半ば~18世紀前半の素朴に、或いは丁寧に作られた染付の器、青磁類です。美しい陶片が多いです。

※1 宮島で15世紀頃の古瀬戸片では?と思う破片を拾っていますが、よくわかりません。

(古唐津)
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                           古い唐津(宮島) →大きな画像

古い唐津の器※2 は高台内に兜巾と呼ばれる、円錐状の削り残しがあるものや、特に古いものは高台が低くて、高台脇と高台の区分がはっきりしないものが多いそうです。宮島でも滅多に出ませんから、迷いながら拾っています。天目茶碗タイプや、鉄釉の絵のあるものも見つかりました。
 17世紀のものには、窯で器を重ね焼きした時の痕である砂目跡が残っていることもあります。これは見たらすぐ判りますので、私も収集を始めて間もない頃から拾ってきました。これは宮島以外に、鞆の埋立予定地の干潟や倉橋の鹿老渡でも見つけています。

※2 見出しは一応「古唐津」としましたが、実はこの言葉を使うには躊躇があります。古唐津とは、唐津の草創期である桃山時代から江戸時代初期、慶長~元和(1596~1624年)頃に焼かれた唐津焼のことだそうですが、私がここに載せたものはもう少し時代の幅がありそうだからです。正確には、私が拾った唐津系の陶片の中で、比較的古いタイプと言ったほうがよさそうです。

(京焼風陶器)
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                           京焼風陶器と断面
                    (17世紀後半~18世紀前半、宮島)
         
 淡い黄土色で、高台がカミソリで削ったように鋭い薄手の器が時々宮島などから出てきます。他の古い唐津のザラザラとした器肌と違い、きめの細かい生地が特徴で、京焼風と呼ばれる肥前系の器だそうです。高台内に「柴」などの文字が彫ってある場合もあります。また、これによく似ていますが、土の色がもっとくすんでいるタイプや、蛇の目釉剥ぎのあるもの雰囲気は似ているけれども高台の作りが違うものなどはもっとたくさん出てきます。これらは概ね17世紀後半~18世紀前半のものだそうですが、どこまでが京焼風陶器なのか、私は拾いながらちょっと迷っています。
 脆いのか、底と縁が同時に出たことがありませんが、小皿と碗が殆どのようです。たまにちょっと変わった形のものも拾っていますが、京焼風と考えてよいのかどうか迷っています。本や資料館などで見る京焼風陶器はけっこう高級な感じですが、宮島や鞆で拾ったものは、むしろ素朴な雰囲気です。今のところ、これが出たのは宮島と鞆だけで、どの海岸からも出るわけではありませんから、後の「くらわんか茶碗」のように庶民の間に普及していたわけではなさそうですが、宮島では大量に出ています。当時から厳島神社への参詣者で賑やかだった場所ですので、もしかしたら食べ物屋などでも使われたのでしょうか。たくさん集めても今一つパッとしない、華やかさに欠ける陶片ですが、淡い色のこの器にご飯を盛ったり、野菜や小魚の煮付けなど乗せたりすると、美味しそうに見えたのではないかと思います。

(17~18世紀前半の肥前系陶器)

 肥前系陶器は、17世紀半ば~18世紀前半くらいのものになると、宮島で保存状態のかなり良いものが、たくさん出てくるようになります。鞆でも小さな破片を毎回のように拾っています。なかでも目立つのが銅緑釉や白い釉の掛かった小皿、そして刷毛目模様のついた碗や皿です。

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                          銅緑釉の小皿と裏側
                        (17~18世紀前半、宮島)
    
 銅緑釉には、青磁のような透明感はなく、時にはどぎついほど鮮やかな色をしています。銅緑釉の小皿には頑丈な高台を持った分厚いタイプと薄手のタイプがあるようです。分厚いタイプの中には高台内に削り残し(兜巾)があったりしますので、もしかしたら17世紀前半くらいのやや古いものかもしれません。蛇の目釉剥ぎのあるものが多いです。

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                     白い生地に白い釉が掛かった小皿
                        (17~18世紀、宮島) →大きな画像

 白い釉の小皿は、生地の白さが特徴です。小皿ばかり、幾つも拾っています。これも蛇の目釉剥ぎのあるものが多いです。くらわんか皿との区別が微妙で迷うことがあります。

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                         刷毛目タイプの碗・小皿
                        (17~18世紀前半、宮島) →大きな画像

 白化粧土の刷毛目がついた器には、土の違い、器の厚みなど、いろいろなタイプがあります。蛇の目釉剥ぎのあるものは少ない気がします。他の肥前系の陶器が高台周辺に土を見せているのに対し、この刷毛目タイプの碗には高台を前面施釉したものがけっこう多いです。そのため古いものとわからず、長い間収集対象からはずれ、たくさんあることに気がついてからも、半信半疑で拾っていました。碗や皿以外に、鉢や片口、 火入など、台所用品、生活用品も目立ちますが、これらは時代にもう少し幅があるようです。

(17世紀の染付と18世紀前半のちょっと高級な染付)

                   1640~1690年代くらいの染付の小皿
                         (宮島、八幡川、鞆) →大きな画像
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 私が拾った日本製の染付の中で、もっとも古い時代のものです。17世紀半ば~末くらいまで、初期伊万里と呼ばれる年代のすぐ後の時代くらいだろうと思います。高台径が小さくて、高台の畳み付きの部分を釉剥ぎしたものもあり、細かい砂の付着がある場合もあります。全体に素朴な感じです。拾ったものの大部分は宮島から出たものですが、鞆からも小さな破片が出ました。八幡川からは如意頭の連続模様のある陶片を拾っています。これもたぶんこの時代でよいのだろうと思います。

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                        17世紀後半の染付(宮島) ←針支えのある裏側
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                        17世紀後半の染付(宮島) ←おおきな画像と裏側

 私が拾った陶片の中に、絵付けが丁寧で、筆の線がきりっとした感じのする美しい染付があります。17世紀後半の丁寧に作られた染付です。野の花に流水らしい模様のある陶片は墨弾きの技法を使って濃淡をつけています。裏には針支えの跡があります。その下の輪になった唐草の皿は、葉の部分まで丁寧に輪郭を描いてから中を塗っています。宮島で拾ったこの2つは10センチ前後もある比較的大きな破片ですが、その他にも、この時代らしい、ごく小さな破片を幾つか拾っています。

 宮島や鞆などから、海岸にも輸出された時代の器たちが少しずつ見つかりますが、そのほとんどは簡単な絵付けのもので、アンティークの本にでも出てきそうな、古伊万里らしい古伊万里はほんとうにごく僅かです。それでも、この時代の華やかな陶磁器文化の片鱗が広島の海岸からも見つかることに感動しました。

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                           花唐草の小皿
                       (18世紀前半くらいか、宮島)←大きな画像

 可憐な花唐草は18世紀になってたくさん作られますが、17世紀末くらいにもあり、これはどちらかなと迷いました。小皿ですが、よく見ると皿の縁に小さな窪みがあり、花をかたどった輪花皿であることがわかります。裏は薄く青磁釉が掛かっているようで、花唐草も丁寧で呉須の色の発色も良い方で美しいです。見込みの部分に微かに呉須の色が残っていますので、18世紀に大流行した五弁花があったのではないかと想像しています。でも・・・これも17世紀末くらいには出始めるらしい。うーん・・・(^^ゞ

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                        江戸時代の型紙摺り小皿
                         (18世紀前半、宮島) →大きな画像と説明

 下の写真は型紙を使って絵付けした小皿です。江戸時代の型紙摺りなんですね。美濃地方でも江戸時代に陶器に型紙摺りで模様をつけたものが作られていますが、肥前系の染付にもあります。18世紀前半のもので、量産技法と言うより、装飾方法の一つだったらしいです。そんなわけで、近代のものとは違い、けっこう高級品です。このタイプは裏の手描きの唐草模様も繊細で美しいです。

(青磁と青磁染付)
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                    17~18世紀の青磁&青磁染付(宮島など)    

 ここの記事は17~18世紀半ばくらいの陶片が中心ですが、青磁だけはもう少し後の時代のものも一緒に取り上げています。けっこう古いものが出てきますが、17~18世紀、或いは江戸時代くらいしか私に区別できないものも多いからです。
 17世紀後半、佐賀県の有田や長崎県の波佐見では、模様を彫ったり、一部に染付の模様を入れた美しい青磁皿が作られました。宮島や鞆からもこの時代の青磁片が出てきています。また、細かい年代の判らない香炉類、18世紀頃らしい仏花瓶も拾っています。18世紀後半になると、青磁染付碗が宮島では大量に出てくるようになり、他の海岸や川でもけっこう見つかりますが、これは18世紀~幕末の陶片①で取り上げました。
 江戸時代の青磁の多くは派手な色はしていません。灰色やベージュに近い色のものも多いです。でもこうやって集めてみると、大地から生まれた緑色、青色なんです。
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by 10henkutsu | 2007-04-26 09:58 | ◇17~18世紀の陶片
2007年 04月 26日

陶片図鑑 4 (18世紀~幕末の陶片①)

 お金持ちの贅沢品だった磁器の器も、18世紀になると大衆化します。18世紀前半くらいから作られ始めた「くらわんか」タイプの碗などが、いろいろな海岸や川でも出てくるようになり、特に18世紀半ばを境に、何か見えない線でも引いてあるかのように、それ以前とは比べものにならないほど大量の陶片が出るようになります。広島でもこの頃、磁器、半磁器の食器が庶民に普及したのでしょう。呉線沿岸や島の干潟からも、広島市内や周辺の川からも、ごく身近な場所で、これら江戸時代の雑器たちは拾えます。

(くらわんか)
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                    くらわんかの茶碗と皿(18世紀、宮島)
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                        くらわんか碗・梅の木文
                       (18世紀半ば~後半、宮島)
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                    くらわんか皿(コンニャク判の五弁花入り)→裏側の写真
                       (18世紀半ば~後半、宮島)

 海岸や川で拾える江戸陶片の代表と言えば「くらわんか」と呼ばれる茶碗小皿たちです。典型的なタイプは18世紀のもので、頑丈で分厚いものが多く、碗の場合、19世紀のものより、現代の器との違いがよりはっきりしていて、江戸時代の陶片の中で最も拾いやすいです。小皿は18世紀後半くらいから、底が蛇の目凹型高台になったタイプが増えるようです。くらわんかの器は底と縁の両方が残った大きな破片で出ることも珍しくなく、古い陶片を拾ったという満足感を味わえます。コンニャク判と呼ばれるスタンプ模様や、雑ではあっても勢いのある手描きの絵の素朴な良さ、手に持った時の心地良い重さと、大らかな姿、見つけるたびにうれしいものです。皿の中央、見込みの部分には、五弁花(ごべんか)というワンポイント模様がついているものも多いので、干潟のなかでこの部分を見つけると、「あった!」とすべてを忘れて駆け寄ってしまいます。これらの器の一部は白い器肌の磁器ですが、磁器の原料と陶器用の粘土を混ぜたりした半磁器製品も多く、その境界線は曖昧で、作り方も姿同様おおらかなものだったようです。

(青磁染付碗)
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                      青磁染付碗(18世紀後半、宮島)     
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                           青磁染付碗復元図 

 外側だけに青磁釉を掛けた蓋付きの素朴な碗は18世紀後半に大流行したそうで、宮島からは引き出し一つを占領するほど拾っています。特徴があるので、小さな破片となっても見つけやすく、他の海岸や川でもけっこう出ています。青磁とはいえ、庶民の器だったようです。内側は染付で、たいていは底に五弁花や、五弁花の成れの果てのようなワンポイント模様があり、縁には四方襷(よもだすき)と呼ばれる飾りがあります。蓋がついていて、蓋と本体の模様は対になっています。くらわんか的な雑器で、お世辞にも美しいとは言えない、灰色がかった鈍い薄緑色が多いのですが、ときどき惚れ惚れするような澄んだ緑色をしたものもあります。

(薄手の碗)
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                 薄手の碗(18~19世紀初め頃、宮島、八幡川) →大きな画像
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                           薄手の碗(宮島)

 江戸時代の碗の中には非常に薄手のものが時々あります。器が薄いだけではなく、高台が持ちにくいほど低く、飯茶碗かどうか判らないほど小さいものもありますが、熱いお茶など入れたら手が熱かったのではと思うほどです。薄い分、割れやすかったのではとも思うのですが、宮島ではけっこう出てきます。花唐草や、氷裂文の中に菊花を散らしたものなど、優雅な模様も多いようです。年代は18世紀前半のものと、1780~1810年代くらいのものがあるらしいです。

(瓶類)
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                     いろいろな瓶(18~19世紀、宮島) →大きな画像

 18~19世紀の瓶も時々拾っています。ごく小さいものを除き、首の部分と銅が繋がったまま出たことはありません。どうしても割れてしまうのでしょうね。細い首の部分などが出ている蛸唐草の瓶は19世紀のもの。拾ったものの多くは小瓶ですが、かなり大きな瓶だったろうと思われる破片もあります。宮島、鞆などから少しずつ拾っています。

(そば猪口・湯呑・盃類)
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                 そば猪口・湯呑・盃(18~19世紀、宮島・似島) →大きな画像

 そば猪口は時々出てきますが、縁と底がバラバラに出ることが多いです。湯呑や盃もたくさん出てきますが、もともと小さい器ですから、割れると本当に小さな破片になってしまいます。湯呑とそば猪口の縁、大き目の湯呑や盃と飯茶碗は区別がつきにくいことがあります。

(信仰の器)
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                       仏飯器(18~19世紀、宮島)

 ご飯を盛り付けて仏様に供えるための器です。現代のものに比べて、ご飯を盛る部分がやや大きいようで、くらわんか茶碗を小さくして足をつけたような素朴な姿をしています。海岸や川の陶片は、生活に不可欠な飯茶碗、小皿、湯呑が圧倒的に多いのですが、これは昔の人々の素朴な信仰心を感じさせる陶片です。
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by 10henkutsu | 2007-04-26 09:46 | ◇18世紀~幕末の陶片①
2007年 04月 26日

陶片図鑑 5 (18世紀~幕末の陶片②)

 江戸時代も後期になると、雑器でも比較的薄くて器肌の白い器も多くなります。19世紀~幕末独特の形や模様もあり、それと判りますが、江戸時代か明治のものか、ひょっとしてもっと後のものか判らず悩むこともあります。感覚的に現代のものに近い姿をした食器が多くなるのです。数の上では18世紀のくらわんかタイプよりたくさん出てきますし、よりたくさんの海岸で見つかりますが、古そうな雰囲気がないものも多く、慣れないうちは近代ものと区別がつきにくい場合もあります。ごく身近な海岸の、現代の陶片やプラスチックゴミの中で、なんの違和感も感じさせずに、たった一つだけ混じっていたりするのが江戸後期~幕末の陶片です。

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                              広東碗
                  (18世紀末~19世紀前半、宮島、八幡川)

 名前こそ広東碗ですが日本製の飯茶碗です。18世紀末から19世紀前半に大流行しました。大きなしっかりした高台を持ち、外に向かって広がった形をしています。19世紀の他の碗同様、見込みの部分には、いたずら書きのような、雑なワンポイント模様が描かれている場合が多いです。蓋付きも多かったそうですが、もちろん海岸からは一緒に出てきたりはしません。(^^ゞ 広東碗は私の歩いたあらゆる海岸や川から、頑丈な底の部分がたくさん出ています。 
       
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                    線描きタイプ(江戸後期~幕末、宮島)

 18世紀末以降、線描きのみの模様が流行します。清朝の影響だそうです。宮島以外の場所でもたくさん見つかっています。雑な描き方をしたものも多いのですが、丁寧に描かれたものは繊細で美しく、江戸陶片とはいえ、洋食の器にもなりそうな雰囲気のものもあります。大皿も作られ、宮島や鞆で出ています。線描きタイプは明治になっても合成染料を使って作られています。

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                  海浜風景の皿(幕末~明治、似島、宮島、鞆) →大きな画像&裏

 19世紀になると、島(山)と帆掛け舟、網代、東屋、松の木などを配した海浜模様の小皿がたくさん作られます。ちょっと深めの皿で蛇の目凹型高台の、頑丈なタイプが多いようです。広島の海岸や川からもよく出てきます。私の目には、これらが昔の広島湾の風景に見えてしまいます。遠くの島(山)は現在の広島港から見た似島というわけです。もしかしたら、これを買った人達の、それぞれの故郷の風景に似ることで愛された器なのかもしれません。海浜模様皿は激動の明治維新を越え、明治になっても合成染料を使ってたくさん作られたようです。

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                           菊花型打ち小皿
                      (幕末~明治か、宮島、鞆、似島) →大きな画像  

 これもたくさん出てきます。ちょっとお洒落で清楚な皿なので人気があったのでしょう。目立たずにそっと料理を引き立たせてくれそうですが、そのくせこの小皿、どんなに小さな破片になっても、波で削られて摩滅していてもそれとわかります。おとなしそうですが、意外と個性があるんです。この形の白磁皿はかなり古いものもあるようですが、近代陶片が中心の海岸からもよく出てきますので、拾ったものの多くは幕末~明治くらいなのではと思っています。私には今のところ、それくらいしか判りませんので、明治以降の近代モノも混じっているかもしれませんが、このコーナーに入れました。海浜風景皿と同じように、ごく小さなサイズのものを除いて、底は蛇の目凹型高台です。ほとんどが白磁皿ですが、たまに青磁釉の掛かったものを拾っています。

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                       瀬戸・美濃系の茶碗・湯呑・盃→大きな画像&裏
                    (江戸後期~幕末、宮島、八幡川、似島)

 東日本の海岸ではけっこう珍しくないらしい中世~18世紀頃の瀬戸・美濃地方の器は、広島ではほとんど拾っていませんが、19世紀になると、広島の海岸や川からも、それまでの肥前系の陶片に混じって、瀬戸・美濃系のものが出るようになります。湯呑など小さな器が多く、いかにも手軽な雑器という感じです。光をよく通す白い器肌に、たっぷり呉須を含んだ筆で模様が描かれていて、これが現代の器でないと知った時は驚きでした。模様は唐草や霊芝文、源氏香図、福の字などの他、似ているので私が勝手に染色体模様と呼んでいる湯呑や盃もあります。

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                     馬の目皿(19世紀~幕末頃、宮島)
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                           馬の目皿(裏)

 骨董市などでお馴染みの瀬戸の馬の目皿も、宮島と八幡川からほんの少し出ています。断面や高台あたりの土は、ざっくりときめの荒い感じです。
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                           馬の目皿復元図
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by 10henkutsu | 2007-04-26 09:41 | ◇18世紀~幕末の陶片②