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陶片窟-ブログ版TOUHEN-KUTSU

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2007年 04月 26日

陶片図鑑 8 (明治~昭和の陶片①)

(合成染料の手描きの器)
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                           手描き染付皿・碗 →大きな画像
                 (明治時代、宮島、似島、呉市・吉浦、上鎌苅島)
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                      蛇の目釉剥ぎのある近代染付皿
                         (能美島・中町、宮島)

 鮮やかな合成染料を使って、泥臭く、野太く、元気よく手描きされた器たちです。幕末の線描きタイプのデザインをそのまま引き継いだような描き方が目立ちます。幕末の海浜模様の頑丈な小皿も、染料を合成染料(ベロ藍)に変えて、引き続き作られています。幕末から続くデザインも多いこれらの多くは明治のものだろうと思いますが、私には後の時代と区別がつきにくいものもあります。また、これらの中には、稀に近代のものでありながら、窯での重ね焼きの跡が残っているものもあります。

(近代の手描き色絵皿・碗)
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                        近代の手描き色絵皿・碗 →大きな画像&裏側
                         (似島、宮島、鞆など)
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                          近代の手描き色絵皿
                    (宮島、大崎下島・大長、倉橋・鹿老渡)

 海岸で目だって華やかな陶片と言えば、近代の手描き色絵皿や碗です。後のカラー印刷や洋風の絵付けではなく、江戸時代の色絵をそのまま引き継いだような手描きの器たちは、ひょっとしたら江戸モノではと迷うものや、比較的古そうなものから、昭和かなと思うものまで、時代の幅は広いです。このグループは定義も曖昧ですし、かなり情緒的な分類かなと思うのですが、「美しい色絵だけど近代モノだなあ」と思いながら拾う陶片が確かに存在しますので、海岸での感覚そのままにグループとして取り上げてみました。

(印判・型紙摺りの器)
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                        型紙摺りタイプの印判食器 →大きな画像&裏側
                    (宮島、似島、八幡川、福山市・仙酔島)
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                       目跡の残る皿(能美島・中町)

 型紙摺り(摺絵)とは、細かく模様を切り抜いた型紙を器の上に当てて、その上から染料を刷り込んで絵付けするやり方です。そのため模様の輪郭線が点線状になっています。大部分は藍一色ですが、多色刷りや手描きとの併用、青磁釉の上から絵付けしたものなどもあります。あまり繊細な模様を付けることはできませんが、それがかえって素朴な魅力になっています。時には少々うるさいほどに詰め込まれた模様の中を探すと、武骨なウサギや、ミミズのような可愛い竜、花や国旗、船などが隠れていておもしろいです。

 これらの型紙摺りタイプは明治の初期に始まり、明治時代量産食器の主流となりましたが、やがて少し遅れて出てきた銅版転写の器に主流の座を奪われていきます。合成染料の青が、やや下品なほど鮮やかで、江戸時代の器と一目で見分けがつく元気な器たちです。明治維新は毎日のお茶碗と一緒に、田舎の家の中にまで入っていったのかもしれません。

 型紙摺りの器には、窯での重ね焼きの跡(目跡)の残っているものが多く、稀に蛇の目釉剥ぎのある場合もあります。いろいろな産地のものが入ってきているようで、瀬戸や美濃、有田だけでなく、広島の場合、地理的に近い愛媛県の砥部のものも、けっこう混じっていそうです。現在の東広島市入野には、明治30年代頃まで日常雑器の窯があり、型紙摺りタイプの食器を焼いていたそうですから、中には地元産のものもあるかもしれないと思います。

 型紙摺りタイプは主として明治時代に作られましたが、その後も完全になくなったわけではなく、統制番号入りの型紙摺りさえあるほどですので、この印刷方法で時代が正確にわかるわけではないようです。ただ型紙摺りの器は、銅版転写の器に比べて、蛇の目釉剥ぎや目跡など、古い量産技法が見られることが多く、やはり明治時代の可能性が高いというくらいに思ってよいのではないかと思います。

(美濃地方の型押しの小皿)
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                  型押四方小皿(明治時代、宮島、似島、八幡川)→ 大きな画像&裏
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                  染付印刻小皿(明治時代、宮島、八幡川、鞆) →大きな画像&裏

 美濃地方で作られた型押小皿、あるいは印刻の小皿は、ある程度古い陶片が出る場所なら、通っていれば確実に出てくるのではないかと思うほどです。よほど大量に作られたのでしょう。このタイプ、江戸時代もあるようですが、海岸で出てくるものの多くは明治のようです。型押四方小皿の方は、梅など、花の陽刻模様が多く、角皿の他に輪花皿もあります。印刻小皿は波間に馬や千鳥を配置した幻想的なものや、竜や唐獅子や牡丹の図、寿字などおめでたい図案がよく見られます。とても個性の強いデザインで、海岸や川では、指の先ほどの小さな破片になってもそれと判ります。家の食器棚にあったならアクが強すぎて嫌になるかもしれませんが、海岸ではその自己主張の強さがなんだかいとしくて、見つけたら必ず拾ってしまいます。海岸陶片を拾い歩いて、完品より破片の方が美しい器というものがあることを知りました。



(銅版転写の器)

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                           銅版転写の皿
           (明治~昭和戦前、似島、宮島、安芸津町・風早、能美島・中町など) →大きな画像

 近代陶片の花形は明治の型紙摺りと、この銅版転写の器でしょう。明治半ばくらいに、型紙摺りタイプに少し遅れて普及し、昭和戦前くらいまで作られ続けました。銅版画(エッチング)の技法を使って紙に模様を印刷し、その紙を器に当てて模様を写し取るため、模様は細かい線の集まりでできており、よく見るとお皿や茶碗の模様に、紙のズレや皺が残っていることが多いです。型紙摺りよりも細かい繊細な表現ができるため、動物、植物、幾何学模様、時代を反映したものなど、面白い図案のものが多く、海岸で最も楽しい陶片の一つです。現代人から見ると実に手間のかかったものですが、当時は大量生産食器の主流でした。大皿、小皿、茶碗、湯呑などの食器はもちろん、日常のあらゆる生活用品にいたるまで銅版転写で模様を付けられた陶製品が活躍していました。

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                         銅版転写の飯茶碗
                     (明治~昭和戦前、似島、宮島) →大きな画像

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                       銅版転写の湯呑、盃など
                 (明治~昭和戦前、似島、宮島、安芸津町・風早) →大きな画像

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                    銅版転写の大皿、鉢、徳利、段重、蓋物
                      (明治~戦前、似島、宮島など) →大きな画像

 大量に出てくる銅版転写の陶片ですが、細かい年代や産地は判りにくいです。それでも比較的初期のものではと思えるもの、大正ロマンを感じさせるもの、昭和の銅版と私が呼んでいるタイプがあり、将来、幾らかの分類が陶片窟でもできるかもしれません。また産地についても、広島の海岸や川から出た銅版転写皿の中に、有田や瀬戸や美濃で作られたのではないらしいと判ったものもあります。地理的にみても、愛媛県の砥部焼がかなり混じっているかもしれないです。今、とても興味を持っています。

# by 10henkutsu | 2007-04-26 09:21 | ◇明治~昭和の陶片①
2007年 04月 26日

陶片図鑑 9 (明治~昭和の陶片②)

(企業や団体名入りの器)

 企業や商品、団体名、お店の名前の入った陶片も出てきます。昔のノベルティ・グッズや、社員食堂などで使われていた食器などです。お酒醤油の名前が入ったものが目立ちます。写真上段中央は広島の老舗デパート福屋の昔のマークです。銅版転写のようですから、ひょっとしたら昭和戦前、福屋百貨店のビルが建った頃のものかもしれません。その右は鞆の保命酒の名前が入った小皿、その下のネオパビロンはシップ薬の容器の蓋です。裏に戦時中に作られたことがわかる統制番号「岐765」入り。陶製の薬や化粧品の容器は戦時中にガラス製品の代用品としてよく作られました。→昭和の陶片

 その他、現在も広島市内で路面電車を走らせている、広島電鉄のマークの入った国民食器も拾っていまが、これは広電車内の食堂で使われたのかもしれません。国鉄のマークの入った容器もたくさん見つかります。国鉄購買廣鐵食堂などと書かれたものや、汽車茶瓶も拾っています。警察学校の名前の入った湯呑郵便貯金のマークの入った碗も拾っています。

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                      企業、店名入り(戦前、似島、鞆)

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                        保命酒の容器(戦前、鞆)→大きな画像

 鞆の干潟からは、鞆の名産、保命酒の容器が大量に見つかります。いわば昔の産業廃棄物ですが、容器自体なかなか味があり、おもしろくて、干潟全体が鞆の地場産業資料館のような趣があります。量り売りのための大甕備前焼の角瓶タイプへそ徳利狸徳利など、いろいろな時代、産地のものが出てきます。保命酒容器は宮島からも少し出ています。

(文房具)
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                        近代の水滴と裏側(似島)

 この水滴は人気のあるデザインだったのでしょう。骨董市やアンティークの雑誌でも見たことがありますし、鞆の保命酒の資料館にも盃などのそばに置いてありました。戦時中の代用品の中にも、薬の容器に表の模様がそっくりなものがありましたが ※1、私の拾った水滴に統制番号は確認できませんでした。海岸からもっと出てくるのを待っています。近代の水滴はあまりたくさん拾っていませんが、この他に手描きの完品や、銅版転写の小片を見つけています。近代モノは底まで施釉されていて手触りが良いものが多いようですが、中には江戸時代か近代か迷っているものもあります。

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                           梅皿と筆洗い皿
                        (戦前か、似島、鞆、宮島)

 梅の花のような形をした絵の具のパレット梅皿は、現在でも陶製のものが作られていますし、大正2年に火事で焼けたせともの屋跡からも出ています。 ※2 基本的な形はほとんど変わっていませんが、やはり戦前のものは裏がザラザラだったり、中には製造元の名前が入っていて、それと判るものもあります。筆洗いも大正2年に既に同じデザインのものが作られていたようです。

※1 「<代用品>としてのやきもの」 瀬戸市歴史民俗資料館 2001年企画展図録
※2 「大正二年のせともの屋」 瀬戸市歴史民俗資料館 2002年企画展図録

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                透かし彫りのある筆立て、外側と内側(戦前、八幡川)
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                   透かし彫りのある筆立て(骨董市で購入)

 これは筆立てだそうです。垢抜けない癖に妙に凝ったデザインがおもしろいと思います。骨董市ではよく見かけますが、海岸や川からも出てきました。戦前のものだろうくらいしか私にはわかりません。

(人形・玩具)

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                     陶製人形(宮島、似島、倉橋・鹿老渡)→大きな画像&裏

 玩具も海岸や川からけっこう出てきます。陶製人形は、細い首の部分で折れやすいのか、首無しで出てくる場合が多いのが残念です。夜店の射的人形のように、手足も一緒に型抜きした簡単な作りのものが多いですが、別に作られた小さな手足だけを拾うこともあります。お醤油顔のベティさんなど面白い題材や、敵を倒している軍人人形など、ちょっとドキッとするものもあります。子どもの玩具が大部分でしょうが、中にはお稲荷さん人形のように信仰の対象であったものもあります。陶製人形は時代の幅もありそうで、戦前のものから、昭和30~40年くらいまでのものも混じっているかもしれません。海岸では剥げてしまっていますが、これらの多くは派手な色が塗られていたようです。集めた人形の山を引き出しから出すと、失われてしまった原色の色の破片が洪水のように部屋の中に溢れるような気がします。

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                            ままごとの食器
             (戦前、八幡川、宮島、安芸津町・風早、倉橋・鹿老渡、鎌倉市)
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                    ままごとの食器(小鉢とすり鉢の裏側)

 海岸や川からは、ごく小さな、とても実用には使えそうもないミニチュアのお皿や茶碗が出てくることがあります。ままごと用の食器たちです。すり鉢などは、ちゃんと溝も彫ってありますし、丼にはそれらしく縁にふくらみをつけてあります。これらはままごとセットとして箱入りで売られることも多く、上の写真の四角な小鉢は、その中の定番として、ずいぶんたくさん出回ったようです。当時の骨董市やアンティークの本などで同じタイプを幾つも見ました。写真下の薄い青色の二つは、鎌倉の材木座、由比ガ浜海岸のもので、私が拾ったり、頂いたりしたもの。これらも四角な小鉢とともに、ままごとセットによく入れられていたもののようです。陶製ではありませんが、鹿老渡のガラス製の皿は小さくても当時のプレスガラス皿の雰囲気をよく出しています。戦後のプラスチック製のままごとセットに慣れて育った私などには、むしろ贅沢な宝物を見るような気がします。陶片採集を続けていたら、きっと出会うことのある、可愛い拾い物たちです。

# by 10henkutsu | 2007-04-26 09:16 | ◇明治~昭和の陶片②
2007年 04月 26日

陶片図鑑 10 (明治~昭和の陶片③)

(洋食器)

 近代になると江戸時代から引き続いた飯茶碗や小皿などに加えて、洋風の食器類が普及していきます。その中には高級ブランドものや、ウイロー・パターンと呼ばれる東洋趣味の洋食器もあり、海岸からも時々出てきます。
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                   オールド・ノリタケ、コーヒーカップの受け皿
                        (大正~昭和戦前、似島)

 海岸で拾える戦前の高級ブランド洋食器で一番多いのはノリタケ、日本陶器の器です。しかし美しい器も上絵付けが丁寧であっただけ、海岸では剥げて白っぽくなり、ノリタケの銘がなければ、かつての姿など想像できない状態で見つかります。その中で写真の3点は保存状態も良く、珍しく模様もそのまま残っていました。左端の皿は「オールドノリタケ コレクターズガイド」(木村一彦&葵航太郎著、トンボ出版)により、右端は模様の意匠登録番号から、コーヒーカップの受け皿と判りました。中央の小皿もたぶん受け皿だろうと思います。
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                     ノリタケの裏印の一つ、ヤジロベー印

 オールド・ノリタケの裏印はたくさんありますが、ヤジロベーの形をした裏印は代表的なものの一つです。モダンで美しいコーヒーカップなどのイメージが強いノリタケですが、国民食器の小皿も作っていたらしく、当時の状況が偲ばれます。広島の海岸では、東洋陶器の器も少し拾っています。

(台所の道具)

 近代の陶製台所道具では、すり鉢、急須や土瓶、おろし金などが目立ちますが、すり鉢はつい古いものばかり拾ってしまい、急須や土瓶は私に判断のつかないものも多く、陶製おろし金以外はまだあまり集めていません。

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                    陶製おろし金(戦前、宮島、八幡川、鞆) →大きな画像&裏

 陶製のおろし金は、意外にたくさん出てきます。白磁のタイプは昭和の金属代用品で、戦時中の統制番号入りも拾っています。茶色のタイプは時代に幅があるかもしれず、中には明治、大正のものが混じっているかもしれません。大部分は金属製のおろし金にあるような角型ですが、たまに皿の形をしたものもあり、これは古瀬戸のおろし皿を連想させます。

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                     似島に多い謎の蓋(たぶん近代か)

 とにかく似島でたくさん出てきます。最近まで、あまり拾ってこなかったせいかもしれませんが、いつ行っても、必ず大きな破片や小さな破片が転がっています。それでなくても生物の豊かな似島の海岸で、陶器の柔らかい器肌は表面のツルツルした磁器よりも生物達にとって心地よいのか、うんざりするほど海藻だの、ヤッコカンザシの類いだの、ありとあらゆる魑魅魍魎ども?(^^ゞ がくっついていることも多く、図体が大きい割りに、そう美しいとも思えず、長い間なんとなく無視してしまっていました。なんだか嫌いという陶片って実はあるんですよね。(ーー;) でも、あまりに繰り返し、繰り返し、目の前に出てきますので、これは拾わないわけにはいかないなあと思い、持ち帰るようになりました。おまけに最近、鎌倉の材木座海岸に漂着した古瀬戸などを身近に手にする機会が増えてから、「あっ!」と思ってしまいました。これ、中世の瀬戸の施釉陶器の遠い成れの果てのような雰囲気があります。似島でたくさん出ることからも、近代のものだろうと思いますが、ひょっとしたら瀬戸産かしら?少し興味が湧いてきました。これも、こんなにたくさん蓋を見かけるのに、本体がどんなものか判らないでいます。何しろセットで出てきてはくれませんから。きっと気付かないだけで、本体も出ているはずでしょうけどね。なぜか似島で特に目立ちますが、宮島、鞆、八幡川あたりでも拾っています。

(碍子、タイル、便器など)
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                   碍子、タイル、コンセント、ローゼット、便器 →大きな画像&裏  
           (明治~昭和、ただし戸車の時代は不明、似島、鞆、江田島、畑賀川)

 古い家を取り壊した時に出たものでしょうか。タイルや便器なども出てきます。写真左端のタイルは銅版転写で繊細な模様が付けられています。裏がザラザラの分厚い陶器でできたタイルで、明治~大正頃の瀬戸で作られたもの。写真右端の染付は便器です。大便器の〇〇隠しの部分ですね。家族から最もヒンシュクを買ったコレクションですが、便器には可憐な野の草や牡丹の花が描かれていて美しいです。昔の人は風流なものです。

 海岸や川では碍子もたくさん見つかります。碍子とは送電線などに使われる電気絶縁用の磁器製品で、電柱を見上げると、今でもたくさん使われています。家の中でも小さな碍子が使われていました。写真のタイルの下にある、小さなくびれた筒状のタイプですが、これは数も多かったのでしょう、出てくる、出てくる、出てくる、私も一々拾ってはいないのですが、それでもサンプルとして少し持ち帰っています。現代の家の中で陶磁器製品はずいぶん少なくなりましたが、コンセント類も、電灯の天井と繋がっている部分(ローゼット)も、かつては陶製でした。

 写真中央のドーナツ状のものは戸車です。戸が滑らかに動くよう、埋め込まれるもので、陶製のものが時々見つかります。この陶製戸車、窯道具として器を載せて焼くのにも使われたそうで、有田の川へ行けば、山のように見つかりますが、広島で出てきたものは、たぶん本来の用途で使われたものだろうと思います。

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                          沈子(昭和か、鞆)

 海岸では漁に使う陶製の沈子もよく出てきます。写真は鞆でたくさん見つかる小さな沈子で、釉薬の掛かったものもたまにありますが、ほとんどは素焼きです。これよりも大きな釉薬の掛かった沈子も、いろいろな形や大きさで出てきます。

# by 10henkutsu | 2007-04-26 09:14 | ◇明治~昭和の陶片③
2007年 04月 26日

陶片図鑑 11 (昭和の陶片)

 昭和の陶片、それは海岸や川で一番多い陶片で、古い陶片の周りに散らばっている新しい陶片のことです。初めは私も見向きもしませんでした。ひっくり返して、なんだコレか、また出てきた・・・そんなことを繰り返しているうちに、たくさん出てくるデザインは覚えてしまいました。昭和の器など、本にもあまり出てきませんから、ほとんどが干潟の知識でした。そしていつか、覚えるほど出てくるデザインに興味を持ちました。昭和の陶片を拾う基準は「繰り返したくさん出てくるもの」です。ある時期大流行した陶片は、その時代がカチンと固まって割れた破片のような気がします。珍しくない、山ほどあるものは、時代の空気の化石なんです。
 また、昭和の陶片にはもう一つの顔があります。戦争に関わるものです。戦時中の統制番号入り陶器や、防衛食容器など金属の不足を補う代用品などです。これらは海岸でも目立ちますので、早くから私は拾っていましたが、集めてみると、この時代の特異さがよくわかります。そして広島には忘れてはならない場所があります。それは毒ガス工場のあった大久野島で、ここの海岸には毒ガス工場に関連した陶片が無数に転がっていました。

(ゴム印の器)
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                          ゴム印タイプの器
                     (似島、宮島、鞆、江田島・切串など) →大きな画像

 昭和の陶片など無数にあって、日本中のお店の商品を数えるようなものでは・・・そう思われそうです。事実そうですけど、でも、そんな昭和の陶片だって、大流行したもの、時代の傾向などは追うことができそうです。長い間、銅版転写での絵付けが量産食器の主流でしたが、昭和になるともっと効率の良い印刷方法が増えます。そのなかで目立つのがゴム印です。柔らかい素材でできた(ゴム印というからにはゴム製?)ハンコ状のものに染料を付けて、器にペタペタ押して絵付けしたものです。これは今でもレトロなデザインの食器などに、けっこう使われていますが、ゴム印が量産食器の花形だったのが昭和戦前です。ゴム印は、銅版転写の繊細な線と違って、ベタッとした、ちょっと滲んだような鈍い線が特徴です。まさにスタンプを押したという感じです。それでも動物や花の絵は可愛いし、江戸時代に流行した五弁花が再び使われたり復古調のデザインも面白いです。戦前の、幻の東京五輪のデザインなど、時代を反映したものもあります。病院の名前の入った小皿など、日常のあらゆる場所で、ゴム印で模様や文字を印刷した器が活躍していました。

(吹き墨の器)
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                       吹き墨の富士山茶碗・皿など →大きな画像&裏
                      (似島、海田町・瀬野川河口など)
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                 骨董市で買った統制番号入りの吹き墨富士山茶碗

 最近の茶碗のカケラに過ぎないと思っていた時期もありましたが、たくさん出てくるので興味を持つようになりました。じっくり眺めると、それなりに美しい器だと思います。吹き墨タイプには、花や鳥などいろいろな柄がありますけど、富士山柄はとても多く、集めてみるとおもしろいです。この手の吹き墨タイプがすべて昭和かどうか判りませんが、戦時中の統制番号入りも多く、昭和戦前に大流行したデザインのようです。

(盃)
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                            盃いろいろ
              (おもに昭和、似島、宮島、鞆、八幡川、海田町・畑賀川など) →大きな画像

 これも繰り返し海岸で見かけるうちに、ついに興味を持って拾うようになりました。とにかくよく出てきます。なかでも薄いブルーの地に桜の花などの浮き彫り模様を散らしたタイプ、謡曲高砂「四海波」の一節と熊手と箒を染付で描いたタイプ、桜の花を吹き墨で散らしたタイプなど、よほど大量に出回ったことがわかります。
 骨董市では、これらの盃は兵役を無事終えた除隊記念に関係者に配ったもの※1 がよく出ていて、盃の内側には日の丸やヘルメット、桜花などが華やかに描かれ、高台部分には贈り主の名前入りも多いですが、海岸や川でも、よく光に透かして見ると、華やかな、あるいは時局を反映した上絵付けが剥げた跡が見つかることがありますし、骨董市で人気のあるらしいヘルメット型の盃も出ています。しかし最初から無地だったらしい場合も多く、ごく普通の日常の盃としても大量に消費されたことがわかります。また、銅版転写などの染付で「千福」などお酒の名前が描かれたものも多く、メガネのマーク入りの肝油猪口も拾っています。これらは販促品として配られたものでしょう。まとめて昭和の項に分類しましたが、小さな四角な高台を持つものなど、大正時代からあったようですので、もう少し古い物も混じっているかもしれません。

※1 
兵隊盃とも言うそうです。兵隊盃に限らず、落成記念とか、小学校の〇十周年記念とか、記念盃は戦前、あらゆる場面で作られたようです。

(統制陶器)
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                     統制番号「肥58」入り飯茶碗(似島)
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                      英文字入り「岐732」瓶(似島)
     
 太平洋戦争中、昭和16~20年に作られた陶磁器には、ごく一部の例外※2 を除いて、岐、瀬、有、肥のような産地の頭文字と数字(統制番号)が入っています。武骨で実用的なものが多く、やはり金彩などを使った贅沢な器は少ないようですが、たまに意外とお洒落なデザインや、華やかな赤絵のものも見つかり、時代の制約の中で精一杯良いモノを作ろうとした人達の心が伝わってくるような気がします。アルファベットの入ったものもあって驚きましたが、調べてみると、敵性語追放が極端になったのは昭和17年末以降のようでした。戦局の悪化につれて、追い詰められ、だんだんゆとりが無くなっていったようです。わずか3~4年の短い期間作られた統制番号入りの器たちですが、集めてみると前後の時代と繋がりながら、この時代の持つ雰囲気もあり、太平洋戦争の小さな記録なのだと思うようになりました。また、これらの陶片たちは、いわば産地と製作年代の名札付きなので、統制番号の入っていない同じようなタイプの陶片を、近い時代のものだと判断することもでき、昭和の陶片を知るうえで大切な資料となりそうです。海岸や川にも多く、最近は広島以外の各地の海岸からもたくさん拾われつつあるようです。

統制陶器ミニ図鑑 (工事中ですが、少し載せています)

※2
一部の高級食器を作っていた窯では、伝統技術の保存を目的に、統制番号をつけないものの生産が許されていました。

(戦時中の代用品)
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                          陶製の化粧品容器
                    (陶製、ガラス製、ともに江田島・切串)

 戦時中、軍需資源の確保を目的に、金属製品など日常のいろいろな道具が陶器で作られました。「代用品」と言われています。その中には、おろし金や、生け花に使う剣山などという、細かい日常の金属製品もあれば、本来ガラス製だった化粧品容器や薬の容器もありました。

(国民食器)
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                            国民食器
                    (似島、宮島、大久野島、江田島・切串)
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                     統制番号「岐454」入り湯呑(宮島)

 二本の緑色の線を縁に付けただけの白いシンプルな食器が、どの海岸や川からもゾロゾロ出てきます。国民食器とか工場食器とか呼ばれるもので、その名のとおり、工場の食堂などでも大量に使われました。戦前、毒ガス工場のあった大久野島の海岸からも大きな破片が出ています。大部分は緑の線のみですが、ときどき国鉄企業のマークの入ったものも見つかります。統制番号入りも多く、戦時中のイメージがあったのですが、統制番号の無いものもたくさんあり、それ以前、あるいは戦後になっても作られたようです。高台内に日陶製など製造元の名前や、MADE IN JAPANの文字入りもあります。器の種類は皿、小皿、丼、碗、湯呑などがほとんどですが、似島で瀬のマーク入りの角皿を拾っていて、これはとても珍しいそうです。

(緑の縦縞の器)
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                           緑の縦縞タイプ

 海岸で一つのデザインがあまりにたくさん出てくると異様な感じがすることがあります。江戸時代の雑器、くらわんか茶碗や皿はどれも似通っていますが、共通の雰囲気を持っていはいても実は豊かなバリエーションを持っています。明治の型紙摺りの器だって、鮮やかな藍色の洪水に目を奪われますが、よく見ると模様の種類の多さに感心します。銅版転写でびっしり描かれた小皿の模様には、世界的なデザインの流行、アールデコの影響があったり、大正時代のお洒落な雰囲気を持っていたりします。たくさん出てくる器には、時代の好みが繁栄されているのです。ところが国民食器と、この緑縦縞タイプは、ちょっと違います。デザイン自体は決して悪いわけではないのですが、効率と無駄の無さを優先していて、まるで「あしながおじさん」に出てくる孤児院のギンガムチェックのお揃いの服を思わせるものがあります。大量流通の背景に、時代の好みではなく、戦争と言う、時代の事情があるからでしょう。国民食器の方は各方面でいろいろ取り上げられていますが、この緑の縦縞タイプのことは、あまり触れられていません。国民食器と一緒に扱うのは私の思い込みが過ぎるだろうかと心配もありますが、一つのデザインで陶片窟のメインブログの中に項目を立てたくなるほど海岸や川から出てきますので、将来大きな修正の必要が出るかもしれないのを覚悟で取り上げてみました。

「鞆の陶片図鑑Ⅱ」の緑の縦縞タイプ  その1  その2  その3  

(防衛食容器)
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                          防衛食容器の破片
                         (似島、宮島、八幡川)
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                           防衛食容器
                        (骨董市で購入したもの)

 戦時中、金属製品の不足を補う代用品として、陶製の缶詰容器が作られました。それがこの防衛食容器です。非常食用として作られたそうです。真空状態にすることで、蓋と容器を密着させ、食べる時は釘で穴を開けて開封したそうです。特に似島の長浜海岸では、この容器の破片が多く、それは戦時中、長浜地区に軍の倉庫があり、物資の荷揚げ用桟橋が長浜海岸にあったことと関係しているのではと思っています。
「陶製の缶詰容器・防衛食」

(軍隊用食器・軍関係の文字入り容器)
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              陸軍の星のマーク入り食器・歩十一の文字入り容器(似島)
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                            (外側と内側)

 軍の施設のあった似島からは軍隊用食器も出てきました。星のマークは銅版転写で印刷してあり、右端は蓋、中央は内側に星があり、反った縁が微かに残っていますので、すとんと真っ直ぐ深くなった形の碗のようです。金属代用品のようです。歩十一とあるのは、たぶん広島に司令部があったという第五師団の歩兵第十一連隊のことではないかと思います。何の容器でしょう。ちなみに、今のところ広島の海岸や川から海軍の碇のマーク入り陶片は出ていません。

                                                        

# by 10henkutsu | 2007-04-26 09:11 | ◇昭和の陶片
2007年 04月 26日

陶片図鑑 12 (戦後の陶片)

 海岸陶片を集めていると、どこまで拾うかという問題にぶつかります。身近な海岸に江戸時代の陶片があることに気がついて始まった私の陶片収集は、そんなわけで江戸時代が出発点でした。そこから時には中世や、もっと古い時代まで遡り、一方で明治、大正と近代史をたどるようにして干潟を歩き、ついに昭和と出会ったのです。戦時中の生活を感じ、占領下を通過し、やがて昭和30~40年代、私の子ども時代の記憶と合流する。干潟のなかで、書物の中の日本史と、私自身の歴史が出会う感動を体験しました。学校時代、いつも駆け足状態の三学期、ほとんど習わずに終わってしまったような現代史ですが、海岸では圧倒的なモノの存在感で戦後の、ちょっとだけ昔の世界が散乱しています。
 戦後の陶片は収集に値するか。つい昨日まで家庭にあった、それどころか今も使っているような食器類。しかし戦後も既に60年以上経過し、十分に歴史上の時代となりつつあります。私が子どもだった頃と今とでは、社会の状況、雰囲気も、感性も違っていました。社会の状況、感性が違えば、身の回りのモノだって違ってきます。「戦後のものだが、たぶん30年以上はたっている」と思われるグループに属する陶片をどうするか。今のところは、その時の気分のまま・・・です。でも少しずつ集まり始めました。

(占領下の陶片)
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                 MADE IN OCCUPIED JAPANの文字入り
                           (占領下、宮島)

 戦後しばらく、日本からの輸出品には、MADE IN OCCUPIED JAPAN(占領下の日本製)という文字が付けられていたそうです。文字の入った小さな底の部分だけですが、宮島と似島で一つずつ拾っています。

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                        ローズチャイナ印のノリタケ
                       (昭和21年~、宮島、似島) →大きな画像&裏
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                         ローズチャイナの裏印

 海岸から、たまに可愛らしいバラのマークの付いた洋食器が出てくることがあります。実はこれ、戦後すぐのノリタケなんです。戦前と同じ品質のものがまだ作れなかったため、ノリタケの商標を守るために、昭和21年から、しばらく使った裏印だそうです。※ 輸出向けだけでなく、進駐軍向けの製品にもこの裏印が使用されていた可能性があるそうですが、海岸から時たま出るところを見ると、進駐軍を通じて国内にも幾らか出回ったのかもしれません。

※ 「オールドノリタケ コレクターズガイド」 木村一彦&葵航太郎著、トンボ出版

(昭和30~40年代の陶片)
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                      懐かしい水玉の食器(鞆、似島)

 私の記憶にもある時代の陶片たちです。水玉模様の急須や飯茶碗、湯呑は当時どこの家庭でもあったのではないでしょうか。これらは長崎県の波佐見で生産されたそうです。波佐見は「くらわんか茶碗」の故郷です。江戸時代から、庶民に愛される安くて飽きの来ない日常雑器を作ってきた伝統がこの時代にも生き続けていたのですね。
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                      昭和40年代の子ども茶碗(似島)

 パーマン柄の子ども茶碗です。高台内のマークは金正陶器。昭和35年頃からキャラクターの絵のついた子ども茶碗を作ってきたメーカーのものです。子ども茶碗は今まで拾った数が案外少なくて、戦後のものとはっきり判るものはこれ一つだけです。

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                        お風呂や水周りのタイル
                        (昭和40年代頃までか)

 お風呂か水周りのタイル。これも、できるだけ見ないように気をつけていたものの一つです。何しろ大きな塊で捨てられていることが多く、たいていは家の廃材という感じです。でも、たまにこんな小さな破片になって、ちょうど良いくらいに摩滅して出てくるものがあり、つい拾ってしまいました。長い間、私の部屋で文鎮として活躍してくれています。「お湯に首までつかって!色のついたタイルを数えたら出ましょうね」こんな声が聞こえてきそうです。

(昭和50年代以降の陶片)
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                        唐子模様の蓋
                  (たぶん昭和50年代以降、鞆)

 陶片を拾い始めた頃、まさか将来これを拾うとは夢にも思いませんでした。今でもたいていは拾いませんけど・・・(^^ゞ でも、このデザイン、新しい陶片の中では飛び抜けて目立ちます。よく見かけます。私の陶片コレクションの中で最も新参者の陶片です。

# by 10henkutsu | 2007-04-26 09:02 | ◇戦後の陶片